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   うみの独身寮 <4>

「ぎぃやぁあああーーーーーーーーっ!!」

うみの独身寮初日の朝は、イルカの悲鳴で始まった。

むくり、と寝ぼけ眼で身を起こしたイルカの目の前に、逆さになったカカシの顔があったのだ。

「ひっ、生首ぃっ!?」
「いえ、生首ではありません。あなたのカカシです」

カカシはイルカの至近距離でニコニコと温和な笑みを浮かべている。
呆然としたイルカが視線を上へあげていくと、カカシの顔にはちゃんと首がついていて、首は胴に繋がっていて、胴の先には嫌味なくらい長い二本の足がちゃんとあって、その足裏が天井にぴったりとくっついていた。

「ア、ア、ア、アンタっ、何やってるんですかっつ!?」
「何って、天井にぶらさがってイルカ先生の寝顔を堪能してました」

しれっと言い放つカカシにイルカの頬がひきつる。

「ひ、非常に不愉快です」
「いやぁ、すみません〜 あっ」
「えっ!!」

足裏が天井から離れ、カカシが落下する。
イルカの眠るソファまでの短い距離で、カカシは身体を捩りなんとか体勢を変え、背中から床に落ちた。

「ぐふっ」
「カカシさんッ」

イルカは顔を青くしてカカシの側に跪いた。

「はは、さすがの俺も、頭に血がのぼったみたいです」
「頭に血がのぼったって、いつから逆さになってたんですかっ!?」
「昨夜先生が眠ってしばらくしてからですかね」
「あぁっ、もうっ! アンタって人はっ! 綱手様を呼んできますっ!!」

立ち上がったイルカの手をカカシが掴む。

「い、いや、血を一気に下に戻す良い方法があります」
「なんですか?」
「せ、先生が今俺にキスしてくれたら、下半身に血が集まるので……!」
「〜〜〜!!!」

さっきまで青ざめていたイルカの顔が一気に赤くなって。
可愛いなぁ、なんて眺めているカカシの頬をイルカの唇が一瞬掠めた。

「イ、イルカ先生!?」
「た、他意はありませんからねっ! 綱手様を朝早くに起こすのが可哀想だなって思っただけですからっ!」
「あ、ありがとうございます。もぅ大丈夫です」

カカシの顔も真っ赤になっている。

「ほ、本当ですか?」
「本当かどうか確かめてみますか?」

イルカの手首を掴み自らの下半身を触らそうとしたカカシの額をイルカがペシっと叩いた。

「分かりましたからっ、俺はみんなの朝食を作ってきますっ!!」

イルカは窓際に置かれた衣装箪笥から服を取り出すと、個人用の結界を張りカカシの視線から逃れて着替えを済ませ、部屋をあとにした。

そうして部屋にはとても幸せそうな顔をしたカカシが取り残された。
長い間、執拗にセクハラを繰り返しても、イルカからカカシに触れてくるこなんて、一度もなかったのに。
ふつふつと沸いてくる喜びは、大きな叫びとなって身の内を飛び出した。

「うぉおおおおお!!!! やったぁあああああああ!!」
「カカシィイイ! 朝から大声勝負か!? 受けてたつぞ!! うおおおおおおおお!!!」

…………。勘違いした人物、若干1名。
何かと騒がしい独身寮である。


朝7時半

次々と食堂に入居者が集まってきた。
皆で囲むテーブルの上には、イルカの心づくしの手料理が並んでいる。
二日酔いの胃にも優しいように、茶粥やシジミの味噌汁まであった。

「「これはまた、豪勢だな」」

昨夜飲みきれなかった一升瓶を抱えて現れた綱手と、朝からフルパワーのガイが感嘆の声をあげる。

「イルカさん、これを独りでつくられたのですか? こう見えて私も料理は得意なので明日からは一緒に作りましょう」
「ボクも手伝います!」

喜びながらも恐縮するエビスとテンゾウ。

ゲンマはイビキと「イルカの奴、料理なんてできたっけか?」と首をひねり、カカシは愛するイルカの手料理を感激して見つめていた。

皆でひとつのテーブルについて手作りの朝食を摂る、という行為は思いのほか皆を穏やかな気持ちにさせた。
戦忍として世界中を駆けまわっていた頃は望むことすら諦めていた普通の幸せを、誰もが噛みしめていたのだった。

食事を終えた入居者は、「美味しかった」と「ごちそうさま」と。
言葉では到底言い表せない感謝の気持ちを二つの言葉に託して、イルカに贈る。
それを聞いたイルカは花が綻ぶように、笑った。


朝食の後片付けを終えたイルカは買い物に出かけることにした。
カカシはそんなイルカの後をいつものようにストーキングすることにした。

木の葉商店街を歩くイルカは、実に様々な人に話しかけられる。
八百屋のおっちゃん、道端で遊ぶ子供たち、魚屋のお兄さん、井戸端会議中の主婦たち……。みんなイルカを見つけては、とても嬉しそうに話の輪に彼を引きいれるのだ。
そしてイルカもそれはそれは素敵な笑顔を浮かべ、会話を楽しむ。
それを見守るカカシの頬も自然と緩んだ。

―― イルカ先生、やっぱりアナタはすごい人だよ。アナタの愛する里を守れて、よかった。

しばらくして話の輪を立ち去ったイルカは、本屋に入った。
真剣な目で、おそらくは任務のときに見せるような表情で本棚を見渡したあと、何冊か本を取り出し中身を吟味していく。
たっぷりと時間をかけて、イルカは数冊の本を選び出した。

『目指せ長寿! 現役を引退した忍の為のレシピ集』
『車椅子生活 〜家族に出来ること〜』
『美魔女を目指すアナタに必要な栄養素10選』

―― 先生、やっぱり……。

おかしいと思っていたのだ。
人の為に生きてきたイルカがいきなりお金に執着しはじめ、独身寮を経営するなどと言いだした。
何か裏があると思っていた。
ほどんとの食事を外食やレトルトで済ませていたイルカが、何時の間にか、あんなに手際よく豪華な食事を作れるようになっていた。

イルカが独身寮をはじめたのは、自分の老後の為なんかじゃない。
独り身の上忍を集め、彼等が楽しく健康に暮らせるように、それだけのために独身寮を。
皆に気を使わせないために、守銭奴のフリまでして……。

カカシは改めてイルカの心の美しさに胸を打たれた。
そんなイルカの優しさにつけこんで、借金のカタに身体を要求した己の浅ましさが情けない。

カカシはイルカの存在を遠くに感じ、切なく見つめた。

レジに向かう途中で、ふと立ち止まったイルカは本棚を一瞥し、迷いなく一冊の本を手に取り買い物カゴに入れている。
その本のタイトルは……。

『危険! 銀髪は何故禿げる? 〜後退した生え際を本書が救う!〜』

―― !! 

思わず額に手をあて、生え際を確認するカカシであった。

――だ、大丈夫だ……。

「あれ? カカシさんじゃないですか」

――しまった、見つかった!

「あはは。こんにちは、あなたのカカシです」
「お買いものですか?」
「いえ。ちょっと散歩にでたらアナタを見かけたもので。でも、もう帰ります」

自己嫌悪に陥っていたカカシは、イルカに合わす顔がなかったのだ。

「じゃぁ一緒に帰りましょう」
「えっ?」
「俺も、これから帰るところですから」
「……いいの?」
「本って意外と重いんですよ。一緒に持ってくださいよ」

イルカが用意してくれた言い訳のおかげでカカシは頷くことができた。
本の入ったビニール袋を真ん中にして、左側にカカシ、右側にイルカ。
一つの荷物を一緒に持って仲良く歩く姿には、恋人同士のような親密さがあった。

商店街を抜け、里外れに向かう道を左に曲がり、しばらくするとうみの独身寮が見えてきた。
何やら門のあたりに人だかりができている。
不審に思ったカカシとイルカは足を速めた。

そのとき、ふたりの姿を見つけたイビキが大声をはりあげた。

「カカシ、イルカッ。エビス先生が倒れたっ!」


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