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   うみの独身寮 <3>

イルカは壁に空いた2つの大穴を前に呆然としていた。

――修理費、どれくらいかかるんだろう。綱手様はこれからどれだけの穴をどのくらいの頻度で開けるんだろう。
言わなきゃ。
人を殴らないでくださいって、壁に穴は空けないでくださいって、修理費を払ってくださいって、言わなきゃ。
最初が肝心なんだ。
うみの独身寮の経営者として、俺は、俺は言うぞ!

キリキリと痛む胃を押さえつけながらイルカは口を開いた。

「綱手様ッ、初日からケガ人が出てしまいましたッ! こんなことでは困ります!」

言ったぁ! 言いました、俺!! がんばったあ!

「そうだな」

何か考え込むような様子の綱手。
綱手だって、自分がしてしまったことを反省しているのだ。
傍若無人な火影として名をはせた綱手でも、ちゃんと一般的な罪の意識もあるのだ。
だったら、話し合える。そう考えたイルカは胸をなで下ろした。

「今後は、ケガ人が出ないように気をつ」
「ああ。もちろんだ。どんなケガでもわたしが居れば安心だ。なんといっても血の気の多い里の英雄が集う寮だからな! イルカ、おまえもな、多少のケガを気に病んでいては身がもたんぞ」
「「「「「は!?」」」」

その場にいた全員が口をあんぐりと開けて固まった。

「ん? なんだ? オマエら揃いも揃ってマヌケ顔を晒しよって」
「い、いえ。なんでもありません」

血の気が多いのは綱手様だけです。とか。いったい誰がケガをさせたと思っているんです。とか。言いたいことは山ほどあったけれど、何も言わないことがここで生き抜くためのルールなのだと誰もが悟った瞬間だった。

はぁーっ。この分では修理費のことなど口にできない、と、大きなため息をついたイルカに優しく語りかける男がひとり。

「イルカさん。壁の穴はボクが木遁でふさぎますから」
「ダメです!」

咄嗟に出たイルカの強い言葉に驚いているのはテンゾウだけではなかった。

「イルカ先生、テンゾウは綺麗に修復できますよ?」
「そういう問題じゃなくってっ!! 俺が嫌なんです。ちゃんと業者に連絡して穴をふさいでもらいますから、テンゾウさんは何もしなくていいんです。というか、何もしないでくださいっ」
「は、はぁ。イルカさんがそこまで言うなら。でも、本当にいいんですか? ボクなら無料(ただ)ですよ?」
「テンゾウさん、そんな言い方はやめてください!」
「は、はぁ。すみません」

イルカの勢いに押されて意味も分からず謝ってしまうテンゾウである。

そんなこんなで、夜を迎えたうみの独身寮ではリビングに空いた大穴はそのままに大宴会が催されていた。
入居祝いということで、イルカが木の葉で一番格式の高い料亭から料理を手配していたのだ。

最高の食事に最高の酒が里の英雄たちの胃袋と心を満たしていく様子をイルカは嬉しそうに眺めている。そして、そちらの酒が空になれば酒を運び、あちらで粗相があれば雑巾をもって駆け付ける、といった具合にかいがいしく皆の世話をするのだった。

なんだかんだいって、ガイ、カカシ、テンゾウの3人は仲が良いようで、上忍師として過ごした昔話に花を咲かせている。
哀しい別れはあったけれど、命を奪うことが日常だった彼らの人生の中で弟子を慈しみ育てた経験は特別なものであるに違いなかった。
三人の口から、自分も大切にしてきた教え子達の名前が次々と飛び出すのを、イルカは幸せな気持ちで聞いていた。

リビングの隅のほうでは、綱手が既に出来上がっている。

「それでだな、エビスよ。私がそのとき、いかに勇敢な賭けに出たか教えてやろうか?」
「は、はぁ……」
「そうか! そんなに知りたいか。では話してやろう!!」

――綱手様に掴まったのはエビス先生か……。

エビスの、世渡りが上手いようにみえて実はそうでもないところをイルカは気に入っている。
彼は、要は人が良すぎるのだ。
木の葉丸があれだけ優しく強い忍びになれたのも、エビスの人格が大きく作用しているにちがいないと思っており、同じ教師としてイルカはエビスを尊敬していた。

「 酒が切れた!」と残念そうに叫んだ綱手にイルカは一升瓶を手渡しに行く。
「おぉ、すまんな!」とニッカリ笑い、手酌で酒をあおる綱手。
その豪快さで彼女は里を導いて困難な局面を乗り越えてきてくれたのだと思うと、壁に穴をあけられたことくらい些細なことに思えてくるのが不思議だった。

イビキはゲンマに恋の相談を持ちかけているようで。

「なに? 好きな女がいるのか?」
「おっ、おい! ゲンマッ声が大きい!!」
「す、すまん」
「いや。かまわん。こちらこそ、声を荒げて悪かった」

ふたりは顔を真っ赤にして互いにそっぽを向いてしまっている。
大きな体にいかつい顔をしているけれど、温かで、ウブでかわいいところのあるイビキを、遊び人に見えるけれど実際はとても人の機微に敏感で誠実なゲンマを、イルカは慕っていた。

空になった酒瓶を回収して食堂に運び込んだイルカは、背後に人の気配を感じて振り向く。

「イルカ先生、働いてばかりいないで一緒に食べよう?」
「あ、カカシさん、すみません。俺がこんなじゃ気をつかわせてしまいますね」
「そうじゃなくて、ね。あなたは本当に優しくて……不器用だね」
「なっ、なんのことか分かりません!」
「いーよ今は分かんなくても」

にっこりと笑った素顔のカカシはとても綺麗で、イルカは不覚にもドキドキしてしまう。

「ねぇ、先生も一緒に呑もうよ。後片付けは明日みんなでやればいいじゃない」
「いや、そういうわけにはいきません」
「いいから。きっとそのほうが皆も楽しめますから」

酒が入ったせいかほんのりと頬を赤く染めたカカシに真正面から見つめられ、いつもより低い声でゆっくりと話しかけられると、逆らう気が失せるのが不思議だった。

「……じやぁ、そうさせてもらいます」
「ん! 先生は俺の隣ね?」

子どものようににっこりと笑ったカカシはイルカの手をひいてリビングに戻る。
いつもは振りほどくカカシの手をイルカは幽かな力で握り返していた。

――あ、れ? なんか、俺、変だ。

イルカは心に生じた違和感を無視することに決めた。
いや、己の目的の為にはそうしなければいけない、と、イルカは知っていたのである。


夜も更けたころに、ようやく宴はお開きになり、酒で顔を赤くした入居者たちが千鳥足で、あるいは鼻歌を歌いながら、それぞれの部屋へとひきあげていく。
ちなみに綱手はリビングで大の字になって寝こけている。肌蹴た着物のかわりに綱手の肌を隠す毛布はイルカがかけたものである。

カカシとイルカも部屋に戻った。
「ベッドはカカシさんが使ってください」そういってイルカはソファに身を投げだし、目を閉じる。

「ねぇ、せんせ。今日はホントにありがとうね。あんなに動き回って、さすがに疲れたよね?」
「そうですね」
「イルカ先生、一所懸命に守銭奴のフリをしたってダメですよ。あなたの真心はみんなに伝わっていますから」
「……初日で見破られるって、忍びとしてどうなんでしょう」
「俺はね、アナタが心配です。いつだって自分のことは後回して人のために尽くして。だから、俺はアナタのことを一番に考えます。」
「なかなか熱烈な告白ですねぇ」

はぁーっ
カカシは大きなため息をついて勢いよく後ろを振り返った。

「テンゾウ、さっきからうるさいよ。俺はイルカ先生に話しかけてるのに、オマエが返事しないでよ」
「すみません先輩。でも、先生に話しかけてるっていっても、先生は先輩が話しかけたときにはもう寝ちゃってましたよ?」
「そんなことくらい知ってるよ。だからってオマエが返事しちゃ興ざめでしょ?」
「はぁ、そんなもんですかねぇ?」
「そんなものです。で、いつまでそこにいるつもりなのよ」
「いつまで、ってずっとですけど」
「それはダメ。そろそろ出ていきなさいよ。ここは俺とイルカ先生の部屋で、オマエは自分の部屋、あるでしょ?」
「うーん」
「言うこときけないんだったら、雷切ろうか? でももう写輪眼ないからコントロール効かなくて前より危険かもしれないねぇ」
「あはは。乾いた笑いが出ちゃいますね。わかりました。じゃぁ、出て行きます。でも先輩、イルカ先生にヒドイことしちゃダメですよ?」
「はぁ……。ねぇ、テンゾウ。本当に俺が力ずくでイルカ先生をどうこうするって思ってるの?」
「……いいえ。先輩がどれだけ真剣にイルカさんを思ってきたか、ずっと側で見てきましたから。先輩が合意なくコトに及ぶことはないと確信しています」
「だったらなんでこんなことを」
「ボクはむしろ先輩はこの恋を諦めるつもりじゃないのかと、それを心配していまして。僭越ながらボクがお二人の恋のキューピットになろうかとはせ参じたわけです」
「……バカテン! 全裸で背中に羽を生やしたオマエを想像しちゃったじゃないの! いいからさっさと出て行きなさいよ」

投げつけられたクッションを背中で受け止めながらテンゾウは廊下へと走り出て、今度こそ部屋に二人きりになった。
カカシの指がためらいがちにイルカの頬に伸ばされ、触れる寸前で握りこまれる。

「ごめんね、先生。俺なんかが勝手に先生にさわっちゃダメだよね。ねぇ、先生。本当に大好きです。アナタの嫌がることはしないから、だから、もう少しだけ俺のわがままをゆるして」

カカシはイルカの眠るソファに頭を預けて目を閉じた。


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