秘密劇場 空に響け、愛の歌 <3>
Träumerei
異国の言葉で 夢 を指し示す言葉。
――まさか、イルカの夢は、俺に「イルカ」と呼ばれることだったのか?
「俺はそれで満足ですから」
――それじゃ、まるでイルカが俺を好きみたいじゃないか。
イルカがカカシを愛している。
この仮定が事実だとすると、音楽室での出来事の辻褄は合う。
しかし、彼には婚約者がいた。
彼の心はすべて彼女に向けられていたはずなのだ。
――考えろ、考えるんだ。
俺たちはこのとき、何を間違えた?
「カカシ先生、さよなら」
「……さよなら、イルカ」
思いつめた表情のイルカに、カカシはたまらず声を張り上げた。
「イルカ! 貴方が好きなのは、俺なの!?」
パリン。
と、また世界が砕け散った。
*
次の世界では、二人は小料理屋にいた。
カカシはこの日のことも、良く覚えていた。
音楽室でイルカと別れたその翌日に、カカシは2週間の任務に発つことになる。その任務を終えて帰還する道すがら、カカシはイルカに式を送った。
「今夜、いつもの店に来れますか?」
「わかりました」
イルカとの短い式でのやりとりに、カカシの心が和らぐ。
望みを受け入れてもらえたことに満足し、逸る心で店に駆けつけたカカシを待っていたのは、左薬指に指輪を嵌めたイルカだった。
カカシは、信じられない思いで指輪を凝視する。
イルカは不躾なその視線を受け流し、酷く哀しそうな表情で杯を重ねていた。
装飾品を好まぬイルカが、美しいサファイアをあしらった指輪を左手の薬指に嵌めている。
その事実が示す意味は明白だったけれど、それを胸の裡に留めておくには、あまりにもカカシの想いは大きすぎた。
「イルカ、その指輪は?」
「婚約指輪ですよ」
「婚約?」
「ええ。でも、現実に結婚できる相手ではないんです。この指輪は、俺が生涯その人を愛していく、という決意の形です」
「どうして、その人と結婚できないの?」
イルカは、その問いに答えなかった。
「この宝石はね、俺の好きな人の瞳に似ているんです。……たぶん」
「青い目の恋人がいたんだね?」
「……すみません、カカシさん。もうこれ以上は勘弁してください」
儚く笑ったイルカは、今にも消えてしまいそうだった。
その後、二人は陰鬱な雰囲気を払拭しようと、何度も話題を変えようとしたが、上手くいかなかった。
箸も杯も進まぬまま、無為な時間が過ぎ去り、ついには無言がもたらす圧力に押し出されるように、二人は店を後にした。
翌朝、カカシは何かに憑かれたように、イルカの婚約者を探しはじめた。
その特徴的な外観から、彼女を探し出すのは難しくはなかった。
異国の血を引いた彼女は、美しい人であり、隠密に長けた特別上忍だった。
仕事上、彼女は普段から生活の匂いを見事なまでに隠しきっていた。
そんな彼女とイルカがどこで出会い、愛し合うようになったのか。
カカシの能力をもってしても、それを暴くことは出来なかった。
しかし、彼女の今を知ることはできた。
彼女は、丁度一週間前に、任務で命を落としていた。
――イルカッ!!!
絶望と、イルカの痛みを想い、カカシは泣いた。
死者を生涯愛すると誓ってしまった彼を、どうして振り向かせることができるだろう。
カカシとイルカの恋は永遠に報われない。
カカシはあのときの痛みを胸に思い起こした。
だけど、何かがおかしい。
何かが。
音楽室でカカシの顔を見つめ泣いたイルカ。
名前を呼んで欲しいと乞うたイルカ。
カカシが見たこともない、ましてや話に聞いたこともない、イルカの婚約者。
そして、イルカの言葉。
「この宝石はね、俺の好きな人の瞳に似ているんです。……たぶん」
多分似ている、だなんて。
まるで、その人の瞳を見たことがないようだ。
服に覆われた身体の一部ならまだしも、恋人の目を見たことがない。
そんなことがあり得るだろうか?
里の中で秘された目など、写輪眼くらいなものだ。
……写輪眼?
何かが心にひっかかった。
カカシは、逸る気持ちを落ち着かせ、情報を整理しはじめた。
一切の感情を排して、事実と憶測を切り分けていく。
恋なんて知りたくなかった、と叫んだ幼いイルカ。
音楽室で、カカシの顔を見て泣いたイルカ。
名前を呼んで欲しいと乞うたイルカ。
その日から一週間後に死んだ、青い目の女。
実際に結ばれない相手に生涯愛を捧げると、誓ったイルカが選んだ指輪。
その指輪に嵌る、好きな人の眼に”多分”似ているという青いサファイア。
これが事実。
事実を元に生じた憶測は……。
イルカに<婚約者>がいること。
婚約者の目は、サファイアと似た<色>をしていること。
イルカが<死んだ婚約者>を生涯愛し続けること。
憶測を全て切り捨てて、事実を再構築することで、カカシは真実との距離をじりじりと詰めていく。
”結ばれない相手”が、婚約者だったとは限らない。人知れず想う相手だったかもしれない。
”結ばれない理由”は、相手が死んだから、とは限らない。
横恋慕だったかもしれないし、身分違いだったかもしれない。
もし、婚約者の死によってイルカが絶望したのであれば、まだ彼女が生きていたあの日の音楽室で、イルカがカカシを見て泣いたことの説明がつかない。<イルカと呼んでほしい>と乞うたことの説明がつかない。
イルカには思いが通じあった婚約者などいなかったと考えるほうが自然だ。
そればかりか、イルカが想う相手は……
――おそらく、俺だ。
理論で辿りついた仮説に、カカシは興奮を隠せない。
益々思考が研ぎ澄まされていく。
結ばれない相手に生涯愛を捧げると誓ったイルカ。
Träumerei を聴き、イルカを想って流した俺の涙を、イルカが勘違いしていたら?
俺がイルカ以外の誰かを愛していると思い込んでいたら?
だとすれば、イルカの行動は理に叶ったものだ。
では、好きな人の眼に<多分><似ている>というサファイアの謎はどう考える?
サファイアの青。
写輪眼の赤。
似ているのは<色>ではなく、<色>以外のものか?
質量、硬度、屈折率……。
「そうか!!」
パズルの最後のピースが、パチリと嵌った。
あぁ!
なんて浅はかな!
何故こんな簡単なことに気付けなかったんだ。
サファイアとルビーは、ほとんど同じ<結晶>を持つ、○○○○○じゃないか。
イルカは青のサファイアに、俺の写輪眼を重ねていたんだ。
見たこともない、写輪眼の赤を。
罪の象徴のような、俺の赤い目を。
「イルカ! 俺たちは愛し合っている。ずっと、ずっと前から!」
カカシは腹の底から大声を張り上げた。
パリンと音をたて、世界が壊れた。
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答えは、コランダムでした
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