秘密劇場 空に響け、愛の歌 <4>
真っ暗な空間に、イルカとカカシだけが存在していた。「イルカ……?」
カカシはイルカに近づき、恐る恐る手を伸ばす。
触れたくて、触れたくて、仕方がなかったその躰へと、手を伸ばす。
カカシの手は拒まれることなく、カカシはイルカの頬を両手で包み込むことができた。
「カカシさん……」
「ねぇイルカ、俺はアナタが好きです。俺たちはずっと愛し合っていたんだよ。お互いを想うあまり臆病になって、真実を見誤っていただけ」
カカシの言葉に、イルカはボロボロと泣き出した。
「辛かったよね。ごめんね。俺に意気地がなかったから、貴方にこんなに辛い思いをさせてしまった」
「いいえ……。いいえっ! 俺のほうこそすみませんでした。想いを告げて友人の立場をなくすのが怖くて、貴方への気持ちを諦めてしまった。あげく月詠の世界に囚われて、貴方をこんな所まで来させてしまった!」
ごめんなさい、と呻いたイルカを、カカシは遠慮なく抱きしめた。
「言わないで。貴方が悪いわけではないよ。大丈夫。辛くて哀しかった日々はもう終わったんだ。俺たちはこの先ずっと一緒に生きていくんだから。
ねぇ、イルカ。俺と一緒に帰ろう?」
わぁわぁと幼子のように泣き始めたイルカの額に、頬に、唇に、カカシは沢山の接吻を贈る。
今まで伝えられなかった言葉と共に。
「可愛い、大好き。愛してる。イルカ、愛してるよ」
「カカシさん、俺も、俺もです!」
突如、轟音と共にすざまじい光が生じたと思うと、またたく間に闇を呑みこんでいった。
二人は光に包まれ、固く抱きしめあったまま、安らぎの中で意識を手放した。
光の中に、カカシは微笑む父の姿を見た、気がした。
*
「あーぁ。あのときのイルカは素直で可愛かったなぁ〜」
柔らかな日差しの下、カカシは手に持った竹熊手を適当に動かしながら、空に浮かんだ綿あめ雲をふんわりと眺めている。
初老を過ぎたカカシとイルカは、共に暮らす家の庭先で、落ち葉を拾い集めていた。
「カカシさん、何か言いましたか?」
「いーえ、なんにも」
「はぁ〜。聞こえてましたよ。今の俺は可愛くないんでしょう?」
カカシの倍の速さで竹熊手を操るイルカの声は、ちょっぴり怖い。
「いやいや、とんでもない。イルカはいつでも可愛いですよ」
そう本心を告げれば、あの頃のイルカは頬を赤く染めたものだった。
ところが今では。
「何度もいいますが、俺みたいな爺さんに向かって可愛いもなにもないでしょうが」
照れ隠しにプリプリと怒ってしまう。
そんなところもまた可愛いのだけれど。
「いくらなんでも爺さんは言い過ぎです。それにしても、奥さんっていう生き物はあっと言う間に強くなるんだねぇ。それで、いつの間にか旦那を尻に敷いちゃうんだ」
自分自身のことや、ナルトやサスケのことを思い起こし、カカシはクスクスと笑った。
「誰が奥さんですかっ。俺はアンタの奥さんになったつもりはありませんからね。無駄口ばかり叩いてないで働いてください。
落ち葉を拾い終わったら、焼き芋をつくりますよ。あの子たちが遊びにくるまで、そんなに時間はないんですから。ほら。ちゃっちゃと動く!」
イルカの言葉に、カカシはニィッと笑った。
「は〜い。わかりました。でもその前に、貴方を充電させて?」
不穏な空気を感じ取って逃げようとするイルカを、思いっきり抱きしめる。
「だっ、誰かが見ていたらど、ど、ど、どうするつもりなんですかッ」
茹ダコのように真っ赤になるイルカ。
「そんなの今更でしょ。俺とイルカ先生がラブラブだってことなんて、里中のみんながず――っと前から知ってるよ」
「そっ、それはそうですけどっ」
常識が、とか、いい歳をした男同志で、とかイルカがくだらないことを言い出すから、カカシはイルカの唇を奪って黙らせてやった。
長い接吻から解放され、抗議の声を張り上るイルカを腕の中から放り出し、カカシは歌いながら落ち葉拾いに戻る。
「♪に〜げ〜ろ に〜げろ〜 よーわーむーしーどーもー
に〜げ〜ろ に〜げろ〜 ぐずぐず すーーーるーーーなぁーーー♪」
あと一刻もすれば、彼等の教え子が家族を連れてやってくるだろう。
二人の家は、親をなくしたナルトやサスケにとって、そしてサクラにとっても、帰るべき場所だった。
大切な子どもたちを迎える準備が整った、ちょうどそのとき。
「イルカせんせー! カカシせんせぇー! ただいまだってばよぉ〜!」
二人して慈しみ、育てあげた教え子が走り寄ってくる。
「フンっ。このウスラトンカチが。火影になってもマトモな挨拶ひとつできんのか」
「なんだとぉ? 挨拶すらしてないお前に言われたくないってばよ!」
「あっ、あの。ナルト君、サスケ君、喧嘩はやめて。ね?」
「ヒナタ、そんなに優しく言っても聞くわけないわ。この二人は拳で躾けなきゃ」
「サ、サクラちゃん、すごい殺気だってばよ……ごめんってばよっ!」
「……サクラ、俺たちが悪かった」
カカシとイルカはたまらず、噴き出した。
時は流れても、あの頃と変わらない穏やかな時間がここにある。
何度仲裁しても、言い争うナルトとサスケ。
好いた相手の幼い姿に、肩をすくめるサクラとヒナタの苦笑い。
イルカの側にはカカシ。
辺りを駆けずり回る二人の大切な忍犬たち。
「我が永遠のライバル! カカシィイイ!! 勝負だあああ!」
「いつもお邪魔してばかりで悪いわね。ほら、ミライご挨拶なさい」
かつての英雄達も、毎日のように二人を訪ねてくる。
ただひとつ、変わったことといえば。
「おーい、みんな。焼き芋が出来たぞー!」
「ありがとぉ!カカシせんせ、いるかせんせ」
「うわーい!」
「やったぁー」
「おれ、いちばんおおきなの たべるってばよ」
甲高い笑い声をあげながらカカシとイルカを取り囲む、幼子の存在。
イルカは深い感慨をもって、その子らを見つめた。
どの子も、父に、母によく似ていた。
この背に庇い続けた愛し子に。
心血を注いで育て上げた教え子たちに。
高貴な生まれ故に苦しみ、ついには真の強さを手に入れた優しい子に。
美しく崇高な女性に。
そして、兄とも慕った、アスマに。
子どもたちの一点の曇りもない笑顔を見つめていると、心の奥底から愛しさが溢れだし、イルカはもうどうしようもなくなって、子どもらを力一杯抱きしめた。
イルカの腕の中で、おしくらまんじゅうを余儀なくされた子らが不満の声をあげる。
「やだーイルカ先生」
「イテテ! もうちょっと手加減してくれってばよ」
その声に益々愛しさをかき立てられたイルカは、その感動をカカシに伝えたくて、彼の姿を求める。
カカシは口元に穏やかな笑みをたたえ、とても静かな目でイルカを見ていた。
凪いだ海のような優しさと、深さで、イルカを包み込んでいた。
イルカは息をのんだ。
思えばこの眼差しで、いつだってカカシはイルカの喜びも哀しみも怒りも全て受け止めてくれたのだった。自分の望みは口にせず、ただひたすらにイルカの幸せを望んでくれた人。
イルカは今更ながらに、自分が<何を>手放そうとしていたのかに気付き、震え上がった。
―― カカシさん、俺をあきらめないでくれて、ありがとう。
あの世界から連れ戻してくれて、ありがとう。
こんな幸せを、ありがとう。
胸に、こみ上げてくる想いがある。
愛しい。愛しい。愛しい。
「あっ、先生泣いてる!」
「えっ?」
「カカシ先生、イルカ先生が泣いちゃったよ」
「せんせぇ、だいじょうぶ?」
不安げにイルカを取り囲む子どもらの頭を順に撫でながら、カカシは目を細めた。
「イルカはね、俺とお前たちのことが大好きすぎて泣いてるんだよ。これは哀しい涙じゃないから、心配しなくていい」
「ふーん、そっかぁ」
流れる涙を拭おうともせず、イルカが言った。
「カカシさんの言うとおりだよ。ごめんな、びっくりさせてしまって。みんな大好きだよ」
「俺も」「私も」 と歓声があがる。
イルカはカカシを真っ直ぐに見つめた。
「カカシさん、本当にありがとうございました」
「……ん」
カカシは幼子にも負けないくらい屈託のない笑顔で頷いた。
イルカの両親が遺した、あんなにも悲しかった家が今や幸せに満ちあふれている。
それは、互いに深く愛し合うカカシとイルカが暮らしているからだ。
カカシは歌う。
イルカとカカシの大切な歌を。
「♪に〜げ〜ろ に〜げろ〜 よーわーむーしーどーもー
に〜げ〜ろ に〜げろ〜 ぐずぐず すーーーるーーーなぁーーー♪
♪はやく しないと つのを おーるぞー
いそいで はしって しっぽに かみつくぞー
おーれはー ティーラノー ザ〜ウ〜ル〜スだーっ♪」
落ち葉焚の煙が、明るい歌声を聴きながら、青く透き通る空をのんびりと昇っていった。
空に響け、愛の歌。
秘密劇場【終】