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   大魔神の壺  <3>

 あの日、イルカは壺のカケラを持ち帰った。

あの日以来、イルカは仕事を終えると真っ直ぐに帰宅し、毎日カケラと向き合った。
たいへんな集中力と思考力を使うので一日に繋げるカケラの数は決して多くはなく、修復は困難を極めたけれど、絶対に元の姿に戻すのだという強い意志がイルカを支えた。

 一週間がすぎ、二週間がすぎ、やがて日数を数えるのを止めてしまってから、どのくらい経っただろう。
とうとう持てるカケラのすべてが繋がり、壺は愛嬌のある外観を取り戻した。
だけど片方の持ち手の部分が足りない。
あれほど注意深く集めても、見つけそこなったカケラがあるに違いなかった。

イルカがカカシと会う前に済ませておきたい大切な用事とは、屋敷に残るカケラを探し出し大魔神の壺を完成させることだった。




 屋敷についたイルカは鍵を開け、中に入り明かりを点ける。
蛍光灯に照らされた玄関は掃き清められ、廊下には埃のひとつもない。靴箱の上の瓶には花咲ける梅枝が挿され優しい香りを漂わせている。
整えられた空間は、きっとカカシの両親が存命のうちはこんな家だったに違いない、とイルカが考え手を入れたものだ。

 イルカは靴を脱ぐと大魔神の間を目指し、黒光りする廊下を進む。


 目的の部屋に入室し床の間の辺りを丹念に探してみるけれど、やはりカケラは見つからない。時は刻一刻と過ぎていく。

―――カカシさんが来るまでに直せるのだろうか。

心に生じた僅かな焦りを抑え込み、イルカは破片の飛び散った様を思い起こすと、床の間に近い二枚の畳のどちらかに落ちているのでは、とあたりをつけた。
以前訪れたときにそこもよく探しはしたが、黄ばんだ畳とカケラの色は似通っているので見落としたのかもしれない。
イルカは四つ這いになり、掌でゆっくりと畳を端から探りはじめた。
 しばらく探っていると隣り合う畳の縁の間で掌にチクリと痛みを感じた。手をどけたイルカは、畳の隙間に嵌まり込んだカケラを見つけることになる。

「あった!」

 イルカは拳を握りしめ小さく叫んだ。



 慎重にカケラを回収したちょうどそのとき、雨戸の隙間から薄明かりが差しはじめてイルカはカカシとの約束の時間が迫っていることを知る。
だけど焦りは禁物だ。少しでも明るいほうが見つけたカケラを接着するには都合が良いだろう。そう考えたイルカは雨戸に手をかけた。

 ガラガラと音をたて世界が開かれていく。部屋に流れ込む冷たい空気がイルカの身を引き締める。澄み切った空気のせいか視界はスッキリとしていて、屋敷を囲む防風林の隙間から雪化粧を施された里が見えた。

 お日様の光を反射して宝石のように輝く木ノ葉の里。

 慣れ親しんだ里が見せる新鮮な姿にイルカは息を飲み、見惚れた。
 かつて此処で暮らした人たちもこんな景色を愛でたのだろうか。だとすれば、幼いカカシは母の腕に納まって屈託なく笑っていたのだろうか。
イルカは在ったかもしれない過去にしばらく思いを馳せたあと、大きく息を吸い込んだ。

「カカシさんが来る前に壺を直さないと、な」


 刻一刻と移ろいゆく美しい景色は恋人と共に眺めればよい。きっとそのほうが何倍も感動的なはずだ。
イルカは後ろ髪を引かれながらも床の間の前まで戻り、どっかりと畳に腰を下ろした。

 リュックから修理道具を取り出し、畳の上に並べる。その後で風呂敷の塊を取り出し床の間にそっと置く。筍の皮をはぐように1枚、2枚と丁寧に風呂敷を解いていくと、中から大魔神の壺が現れた。

次にイルカは右手に刷毛を持ち、毛先で接着剤を薄く掬い取り、カケラの側面に慎重に塗り込める。いざカケラを壺に嵌めこもうとしたとき、玄関から張りのある美しい声が聞こえた。

「イルカ先生もう来ていたんですね。で、どちらに?」

 イルカの心臓が喜びに跳ね、集中力が霧散する。
これはいけない、とばかりにイルカは呼吸を整え「大魔神の間です。カカシさん、少し待っていてくださいね」と断りを入れ、再び意識を手元に集めた。

 息を詰めたイルカがカケラを欠落した部分に宛がうと、カチリと音がした。

「完璧だ! 一度割れたと思えないくらいに完璧だ!」

ついに大魔神の壺がかつての姿を取り戻したのだ。
 達成感と喜びからイルカが手を打ち鳴らしたとき、壺が眩い光を放った。

「うおわぁああっ!? なんだなんだ!?」

 イルカは素っ頓狂な声をあげて、あとずさる。
信じがたいことに、壺に凄まじい量のチャクラが戻っている。

「イルカ先生っ!?」

 カカシの声がしたかと思うと、次の瞬間には抱きしめられていた。とかく忍術とは便利なものである。
瞬身で現れたカカシは、床の間の上で淡い光を纏う大魔神の壺を見て、息をのんだ。

「壺が、元に戻って……る。父さんと母さんのチャクラも、戻ってる!」
「最後のカケラを嵌めた瞬間、壺がペカーッと光ったと思ったらこんなことに」
「信じられない。こんなことが……ほんとに……イルカ先生、ありがとうね。本当にありがとう」

 カカシの腕の中でイルカは興奮気味に答えた。

「どういたしまして。でもこのチャクラ、お二人だけのものではない気がします」
「そうだね。うちに遊びに来た人の中には父さんを真似て壺にチャクラを込めていた人もいたから、きっと彼らの分だよ。懐かしいな。
ねぇ、イルカ。イルカの大好きな人のチャクラも混ざっているよ。探してみて?」
「カカシさん、壺が想像していた以上にすごい迫力で圧倒されています。ちょっとすぐには無理そうです」
「そうだね。混然としているし、チャクラが強大すぎる。昔はこれほどじゃなかったんだよ。一体どうしたんだろうね」

 カカシは床の間の前に膝をつき、壺へと手を伸ばした。白く美しい指先が表面に触れた瞬間、ボンッ!と大きな音。

ふしゅるしゅるしゅる〜〜〜。

 形容しがたい音と共に、壺は口から白煙を吐きはじめた。

「!?」

 白煙は留まるところを知らず、いまや床の間に充満し充分な視界が確保できないほど濃厚。しばらくしてその白煙の中に2つの人影が生じると、なんと、その人影が白煙を吸い込みはじめた。

イルカは息を短く呑んだ。
爪先が細かく震え、心臓は痛みを感じるほど激しく打ちはじめる。

―― まさか、まさか、この人たちは。

 視界が晴れ、現れた2人は、台所でみた写真の男女。そのことに気付いたイルカはすぐにカカシの腕から逃れ、数歩下がった。


 小柄な女性がカカシに駆け寄る。

「カカシ」

 愛し子を呼ばわる声には切実な慈しみが溢れていて。

「……母さん?」
「そうよ」

 女性は感極まった様子でカカシの手を取り、潤んだ目でひたむきにカカシを見つめている。カカシもまた、母と呼ぶにはためらうほど若い女性をまっすぐに見つめ返した。
溢れ出る様々な思いを言葉にすることなど出来なかった。だけど、だからこそ伝わる想いがある。
 どれだけこの人に愛されてきたかを、今愛されているかを、カカシは感じることができた。
すると、カカシの心に居座っていた冷たい小さな氷がたちどころに消えてなくり、温かな気持ちが自然と湧いてきて音を伴い言葉と化して母へと届く。

「母さん。来てくれてありがとう。会えて嬉しいよ」

 愛し子の優しさに感極まり声をあげて泣く母の肩を、カカシとよく似た男の腕が抱き寄せる。

「サクモ……」

 己の名を呼び腕に縋りつく妻の耳元で「よかったな」と、サクモがささやいた。

「父さんも俺に会いに来てくれたの?」
「ああ。もちろんだよ。また会えて嬉しいよ、カカシ」

 カカシの心では喜びと驚きと、なぜ両親がここにいるのかという疑問がせめぎ合っていたが、奇跡のからくりを知れば大切な人が消えてしまいそうでカカシはその疑問を口にすることはできなかった。
しかし、カカシは思わぬ形で答えを得ることになる。

「おーい、カカシ〜。僕もいるよー」

 明るい声と明るい口調。とてもとても懐かしい、大切な人。

「ミナト先生っ!?」

 師匠の声は確かに聞こえるのに姿が見えない。

「ココだよ! ココ」

下のほうから聞こえてくる声にカカシが視線を動かすと、そこには……。

「ミナト先せぇえええええっ!?」

 驚きのあまりカカシは叫ぶ。

 当然だ。首から上を壺の口から生やした人間を見てしまえば、誰だって叫ぶ。

「ごめんごめん。びっくりするよね。でも聞いてよ。これは苦肉の策なんだ」

 明るい金の髪を揺らし、ミナトは朗らかだ。


 ミナトによると、大魔神の壺はあの世からこの世に帰ってくることができる壺らしい。そのためには生前壺に込めておいた大量のチャクラが必要で、ミナトはあまりチャクラを注いでいなかったので文字通り“顔だけ出す”ことにした、とのことだ。

「会えて嬉しいです先生。えっと、俺すぐにナルトを呼んできます。アイツもうすぐヒナタと結婚するんですよ!」

 瞬身の印を結ぼうとしたカカシに「まって、行かないで」と強い声がかかる。手を下ろしたカカシを真剣な目でミナトが見ていた。

「カカシ。いつもナルトや僕の気持ちを考えてくれてありがとう。でもね、今日はカカシに会いに来たんだ。忍界大戦のときに会えなかっただろ? だからね、ナルトへの“おめでとう”はカカシから伝えて」
「だけど先生、ナルトは先生に会いたいと思います」
「うん。そうだろうね。でも僕はどうしてもカカシに伝えたいことがあって来たんだ。だからここに居てよ」

 カカシはギュッと唇を噛み締めた。
ナルトを父親に合わせてやりたい。でも、もうこんな機会はないだろうと思えば自分もミナトの側に居たかった。何よりそれを師が望んでいてくれている。

「わかりました、先生」
「ありがとう」

ミナトはそう言って軽く頭を下げた。

「カカシは昔から自分のことよりも周りのことを優先する子だったよね。今だってそうだ。僕とナルトのことを一番に考えてくれてる。 僕はそれが嬉しくも、悲しくもある」
思い詰めた表情でミナトは言葉を繋ぐ。
「 僕はリンのこともオビトのことも守ってやれなかったけど、カカシのことも守れなかった。
カカシ。君はサクモさんを亡くして間もないときでさえ、我儘のひとつも言わず取り乱しもしなかった。 オビトとリンを亡くしたときもね。 大切な人を立て続けに失った君は誰よりも深く傷ついて。それなのに僕は『カカシは優秀な忍だから、しっかりした子だから一人でも大丈夫』って、君を抱きしめて懐に入れることをしなかった。君はあんなにも小さな子どもだったのに。
僕は君の強さと優しさに甘え、君を追い詰めて子ども時代を奪ってしまったと思う。
許してくれなんて言うつもりはない。ただ、謝りたかった。
カカシ本当にすまなかった。とても辛い思いをさせてしまった」

 深々と頭を垂れる師匠に驚いたカカシが言う。

「ミナト先生。俺はそんな風に考えたことなんて一度もありません。先生には感謝しかありません」
「ありがとう、カカシ」
 ミナトの表情が少し和らいだ。しかしミナトはカカシの言葉と態度に胸を撫で下しはしない。
慈しみ守り育てたいと願った愛しい弟子たちに対する己の不甲斐なさを一生許しはしない。だからこれ以上謝罪の言葉を口にすることもない。
己が楽になるための謝罪などではないのだから。

「それからお礼も言いたかった。息子を、ナルトをあんなにも大切に立派に育ててくれてありがとう」
「いや、俺は不甲斐ない師でした。サスケを苦しめ追い詰めた。結果ナルトにもサクラにも辛い思いを強いてしまいました」
「君がそう思ったとしても、あの子たちは君のことが大好きだよね。それが答えじゃないのかな。君は心から息子を愛しんでくれた。もちろんサスケやサクラのことも。それは誰にでも出来ることじゃないよ」
 師としての己を責め続けたカカシの心に小さな光が灯る。ナルトが、サクラが、サスケが愛しくて仕方なかったのは真実で。何をしたかは重要ではなく、ただ心から愛情を注ぐ、それだけで充分なのだと言われた気がした。

「ありがとうございます。確かに俺はナルトたちが愛しい。それは一生変わりません。先生の代わりにこれからもずっと見守ります」
「ありがとうカカシ。本当に君は良い男になったね」

 弟子の成長を眩しく見つめるミナトの目が細められ、やがてカカシの後ろに控えるイルカに視線がうつる。
ミナトの視線をまっすぐに受け止めたイルカは膝をついた。
そのことに気づいたカカシはイルカを引き寄せミナトの目の前に座らせた。

「ミナト先生。彼がうみのイルカです」

ミナトは空色の目を嬉しそうに細めた。

「イルカ先生はじめまして。ナルトの父のミナトです。ナルトからあなたのことは聞いています。何とお礼をいえば良いのか。本当にありがとうございます」
「いいえっ、俺は何もっ」

 ミナトとイルカ。
涙もろい二人の目からはすでに幾筋もの涙が零れている。カカシはその様子を感慨深く眺めていたが、ふと我に返り口を開いた。

「先生。父さん、母さん」

 いつまで現世にいれるか分からない人たちだから、伝えたいことは今伝えなければ。

「報告があります」

 カカシは背筋を伸ばし、あらたまって言の葉を紡ぐ。

「イルカ先生と俺は長い間恋人として生きてきました。そしてつい最近、俺は先生に求婚し、先生は承知してくれました」

 イルカは居住まいを正した。

『愛しい息子の、あるいは自慢の弟子の伴侶が”うみのイルカ”であることを受け入れてもらえるのだろうか』

澄んだ目で、この疑念の答えを待つイルカの耳に、弾むサクモの声が届いた。

「よかったなカカシ。やっとお前の望みが叶うんだな。イルカ先生どうか息子をよろしくお願いします」

 次いで、ミナトの声が。

「君たちそういう関係だったの? とにかくおめでとう! 本当におめでとう!僕は嬉しいよ!」

 母はといえば。

「私も、すごく嬉しいわ。
2人とも、おめでとう。
イルカ先生、息子の気持ちを受け入れてくださってありがとうございます」

 三人の心から祝福が嬉しくて、カカシとイルカは見つめ合い、肩をたたき合った。

「そうだ、宴会! 宴会をしましょう」

 イルカは咄嗟に叫んだ。決して叶わないと信じていたカカシの望み、亡き父母との祝宴を、今なら叶えることが出来る。
イルカの胸は興奮と幸せに満ちていた。

「まぁ、素敵。あなたたちの披露宴ね!」

母は喜びの声を張り上げた。



その後も不思議なことが次々と起こった。
 誰かに話しても信じてもらえないほどのことを、摩訶不思議に慣れきったこの里の住人にさえ信じてもらえないほどのことを、カカシとイルカは経験した。

最初の摩訶不思議は、カカシの母が起こした。

「私の料理を食べて欲しいの。さあ、みんな目をつぶって!」

カカシの母が弾んだ声で促すと、皆一同に彼女に従った。

「3 2 1 はいっ!」と母は続け、期待半分怖さ半分で目を開けたカカシとイルカは驚きの声をあげた。

どこから現れたのか卓の上に豪華な料理と酒がずらりと並んでいた。
熟練の料理人の手によるが如くの繊細な品々の中、異彩を放っていたのは秋刀魚の塩焼きと茄子の味噌汁。大好物を見つけたサクモとカカシは同時に歓声をあげた。

 そのタイミングでナルトがやってきて、ミナトと涙の対面。
気を利かせたイルカが式を飛ばしてナルトを呼びよせていたのだ。

あの世からの三人と、この世の三人は酒を酌み交わし(但し、ナルトはジュース)大いに食べ大いに語り、大いに笑った。

 イルカはカカシの両親から、カカシの微笑ましい思い出話を沢山聞かせてもらった。

「百聞は一見に如かずだな」と言ったサクモが印を組むと、母親の前にポンッと白煙が立ち昇り、赤子へと姿を変えた。

「うわぁ! 写真とおんなじですね。かわいいですね!」とイルカが言えば、「カカシ先生ってば、赤ちゃんの頃からなんだかふてぶてしいってばよ!」とナルトが笑う。

 母の腕にしっかりと抱かれた赤子は見る見るうちに大きくなり母から離れ、ハイハイをしたかと思えばすぐにヨチヨチと歩き出し(それはそれは愛らしく、イルカが思わず走り寄り抱きしめてしまうほどだった)母と父の膝の上で甘えたり笑ったり、癇癪をおこして泣いてみたり、実に生き生きとした表情を見せて、やがて賢く静かな瞳の少年となり、憂いを帯びた精悍な青年となり、ついには今のカカシの姿をとった後、煙となって消えた。

息子の成長を見守り声を掛ける両親の眼差しからは愛しさが溢れ出ていた。

―― 父さん、母さん、こんな風に俺を見ていてくれたんだね。

もはやカカシの中に両親に愛されていたことを疑う余地など、どこにもなかった。



 さて、壺から顔だけ出しているミナトに、ナルトが刺身を食べさせているときの出来事は摩訶不思議の中でも殊更奇怪だったと思う。

「おーい! イルカはおるか?」

 くぐもった呼びかけの声は、間違いなく壺から発せられていた。
びっくりして飛び上がったイルカはミナトを見る。

「違う違う。僕じゃない」
「じゃあ、これは一体?」

 失礼します、とミナトに律儀に断って、イルカは壺の中を覗こうとする。

が、ミナトの首がみっちり塞いでいて覗けない。

「イルカ、そこにおるのじゃな。儂じゃよ。儂!」
イルカは驚きに目を見開いた。
 優しくて温かい、しわがれた声。
大好きな人の、大好きな声。
 懐かしい。
 辛いとき、嬉しいとき、心の中で幾度となく反芻した、あの声。
 もう二度とは聞けないと思った。
また名前を呼んでもらえるなんて。

ぶわり、とイルカの目に涙が浮かぶ。

「じっちゃんっ!」
「そうじゃよ、イルカ。儂の声は届いておるようじゃの」

 声が聞けて嬉しいとわんわん泣きだしたイルカをヒルゼンが気遣う。

「儂もお前と話せて嬉しいぞ。
お前が小さい頃にしてやったように頭を撫でてやりたいが、儂の込めたチャクラでは声しか自由にならぬ。
サクモのことを信じてもっとチャクラを込めておけばよかったと後悔しとるよ」

そう言ってヒルゼンがカラカラと笑うから、ほんの少し眉をひそめ、唇をゆがめ、温かな目を細めたヒルゼンの姿がイルカの心に浮かんできた。

――そういえば、じっちゃんがこの笑い方をするときは、いつもこんな顔をしていたっけ

懐かしくて、愛おしくて、温かな気持ちが次から次へと溢れてきてたまらない。ずっとこの声を聞いていたい。

きっとヒルゼンはイルカの想いに気づいたのだろう。
ゆっくりと大切に言葉を選びながらイルカに話しかけてくれる。

「イルカよ、カカシと結婚するそうじゃの。本当におめでとう。良き伴侶を選んだな。どのような困難に見舞われても、お前たちなら必ず乗り越えてゆける。イルカは、これからずぅーーっとずぅーーっと幸せじゃとよいな。うむ。きっとそうなる」

ヒルゼンから贈られた言葉は、その後、生涯にわたりイルカを支えることとなる。

イルカはヒルゼンと沢山のことを話した。

ナルトはミナトと沢山のことを話した。

カカシは両親とミナトと沢山のことを話した。


幸せで。
満たされて。
愛しくて。
優しくて。

この世の中の美しいものを全て集めたような時間がゆっくりとすぎてゆく。

ゆっくりと。
ゆっくりと。

腹は満ち、心も満ちて。

すると、あぁ、甘やかに眠気が忍びよってくる。

眠りたくないのに。
ずっと、この時を楽しんでいたいのに。
愛してくれる人が名前を呼んでくれる、この奇跡にずっと浸っていたいのに。

願いとは裏腹に、瞼は閉じゆき、視界が失われていく。


カカシが最後に見たのは、目を細めて穏やかに笑う両親の姿だった。

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