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   大魔神の壺  <1>

 もう三月も終わるというのに、その日は"寒の戻り"の一言では片づけられないほど寒く、夕方にはついに雪が舞い始めた。
 雪は夜になっても、ふわりふわりと木ノ葉の里に降り続け、翌朝には山の端からチョイと顔をだしたお日様の光を受けてキラキラと輝くことになる。

 何か素敵なことが起こりそうな、そんな景色。

 その眩い景色を最初に見たのは、うみのイルカに違いない。
イルカはそれほど早起きした。いつも朝は早いけれど、そのいつもよりもずっとずっと早く起きた。
 だって昨日、恋人が勤務先のアカデミーに電話をかけてきて今日会う約束をしたから。


「もしもしイルカせんせ? カカシです。あのね、急なんだけど明日休みになったの。先生も休みだよね。会える?」

 ああ。なんて柔らかで艶やかな声なんだろう、とイルカは思った。

「もちろんです」
「よかった。じゃぁ何時にする?」

 優しい声で聴かれてしまえば、抑えていたイルカの恋心はたちどころに膨らんで、思わず口をついて出た時間はパン屋さんが開店するくらいの時刻で、流石に『しまった』と思ったのだが受話器の向こうの恋人がとても嬉しそうに「じゃぁ決まり」なんて言うもんだから、そういうことに相成った。
 受話器を置いてしばらくたってもイルカは緩んだ表情を引き締めることができない。
嬉しかった。だってもう随分と会っていない。

 気をよくしたイルカは何時にも増して熱心に仕事に取組み、定時になると同時に職員室を出て、一楽でラーメンを美味しくいただき、帰宅して念入りに入浴を済ませて寝床にもぐりこんだ。
すると、強烈な睡魔がすぐにイルカを夢の世界へ引きずり込む。
だから、明日が楽しみすぎて眠れないんじゃないか、というイルカの悩みは杞憂に終わった。

「カカシ……さん」

 眠るイルカは愛しい人の名を何度か呼んだ。
 良い眠りだった。恋人が添い寝をしてくれる夜のように、イルカの心は安らいでいた。




 たっぷり眠りすっきり目覚めたイルカは、室内が暗いことに首をかしげた。
 まるで真夜中のようだ、そう思ったとたん、約束をすっぽかし夜まで寝過ごしてしまったのかと真っ青になり枕元の時計をひっ掴む。闇に浮かぶ短い針が3と4の間にとどまっているのをみて、イルカは安堵のため息をついた。 

「まぁ、万が一寝過ごしてもカカシさんなら様子を見に来てくれるよな」

 約束の場所に現れないイルカをカカシが放っておくわけがない。心配して必ず会いにきてくれる。カカシが火影になってからというもの、めったに会えなくなったけど昔と変わらず大切にされている。その事実がイルカを支えている。
 それなのに慌ててしまった気まずさをイルカは鼻傷を掻くことで誤魔化した。

「さて、と。どうしようか」

 予定より早く起きてしまった為、二度寝をしようかとの思いが頭を掠めたが、すぐ何処かに行ってしまった。
 本当に寝過ごしてしまえば大ごとだ。それにイルカにはカカシと会う前に済ませなければならない大切な用事がある。早く目が覚めたなら、早く動けばよい。

 のそりと布団から出たイルカは、寒さに体を震わせた。
布団の上にかけてあった半纏を羽織って台所に向かい、インスタントのコーヒーと軽く焼いたバターロールを朝食とする。それから洗面台で丁寧に顔を洗い髭をそった。丹念に髪をくしけずり、艶やかに見えるようにと普段は付けない整髪剤を髪全体に塗り込める。仕上げに恋人から貰った髪紐で手際よく髪を束ねて、鏡を見た。
顔色はずいぶんと良い。表情だって生き生きしている。髪型もバッチリきまってる。

「よし、カカシさんに会う前に絶対にアレを見つけてみせるぞ!」

イルカは両頬を軽く叩き、気合を入れた。

 寝室に戻って着替えを済ませ、押入れからリュックを取り出す。ハンカチやら何やらと必要なものを手際よく詰めていき、最後に床の間に置いてあった風呂敷包みを入れると、意気揚々とアパートを後にした。



 イルカの向かう先は恋人の父が遺した屋敷。つまりは、はたけサクモの屋敷だ。
 大きさは一般的な家屋の倍ほどで凝った意匠も施されていないため、屋敷と呼ぶには物足りないと言う者もいるだろう。
けれどイルカにとって、はたけ家が暮した家は敬意を表すべき”屋敷”であった。

 さて、この屋敷はサクモの死後長らく打ち捨てられていたが、ほんの数か月前に新たな家主を迎えていた。
その家主とは、他ならぬイルカである。

 恋人が白と赤の長衣に初めて袖を通したあの日のやり取りを、イルカは何度思い返しただろう。
つい最近の出来事のように全てを思い出せる。
 
 ほら、こんなふうに。

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