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   香やはかくるる

「ヤマトさん、こんにちは」
「…………こんにちは…」
 
 イルカさんのにこやかなあいさつに、僕も挨拶を返す。そして沈黙。
 いつもなら、ここで当たり障りのない世間話くらいはするのだが、今はそれすら躊躇われる。なんだこの状況は。
 
 僕は五日がかりの任務をすませ、冷蔵庫の中身を思い出しつつ帰宅しているところだった。
 ふと見ると、道端にイルカさんがいた。
 
 いや、それはいい。道端にイルカさんがいる。そこまでは普通だ。何も不思議じゃない。が、これはかなりおかしい。何がおかしいって、イルカさんのいでたちだ。
 イルカさんの両手には紙袋がふたつと、パンパンに膨れた背嚢。背中の風呂敷包みからは、ちゃぶ台の足とハンガーがはみ出している。一分の隙も無い家出ルックだ。
 なんだこの状況は。
 
 僕に会ったのは予定外のことだったらしい。イルカさんは笑顔のまま冷や汗をたらしている。さあ、どう出るか。
 
「…それでは失礼します」
「待ちなさい」
 
 そのまま笑顔で去ろうとしたイルカさんの風呂敷を、僕はガッシと掴んだ。イルカさんはそのまま前進を試みているが、逃がすわけにはいかない。
 イルカさんを食い止めながら、僕はふと気付いた。
 
―― そういえば護衛は?護衛はどこにいるんだ?
 
 イルカさんには、常に暗部の護衛が付くことになっている。
 イルカさんはいつも申し訳なさそうな顔をするのだが、彼は先輩…六代目火影であるはたけカカシが、補佐として、そして伴侶として傍に置いている人だ。
 わざわざ公表はしていないが、二人の関係は今や他里にまで知れ渡っている。そんな人に護衛の一人も付けないというわけにはいかないのだ。
 イルカさんもそれは分かっているのか、申し訳なさそうな顔はしても、護衛を付けるなと言ったことはない。
 
 こんな、明らかにただごとじゃないイルカさんを一人で出歩かせるなんて何やってんだと、急いで気配を探ってみると、いた。というか、めちゃくちゃいる。数えるのが面倒くさいほどいる。
 いるのはいいが、なんでそんなに離れてる。何人いたって、それじゃ護衛にならないだろ!
 
 問いただしに行こうとしたら、今度はイルカさんが慌てて僕の袖を引っ張った。
 
「叱らないであげて下さい。もう俺を護衛する意味はなくなったので、やめて下さいと俺が言ったんです」
「は?」
「何度お願いしても付いて来ようとなさるので逃げて来たんですが…撒けませんでしたか。さすが暗部の追跡はすごいですね。戦場なら死んでました」
 
 ちゃぶ台背負って戦場に行く気なのか。それもすごいな…じゃなくて!
 
「ち、ちょっと待ってください。護衛をやめろって、なぜ?」
「カカシさんが、俺とは別れると。補佐もクビになりました。俺たちはもう何の関係もない赤の他人だそうです」
「――は…?」
 
 いや。いやいや。なにやってんだあの人!
 
「火影様となんの関係もないただの中忍に、暗部の護衛なんて不要でしょう?ですから、本来の職務に戻って下さいとお願いしたんです」
 
 それであの状態か。それを言われた暗部達の混乱状態が目に浮かぶ。なにしろ護衛担当が取り合いになるくらい、イルカさん大好きっ子の集まりなのだ。
 
「火影屋敷も出てきました。最初はカカシさんが出て行こうとしたんですが、火影屋敷なのに火影が出て行っちゃったらおかしいですから」
 
 おかしいけど、おかしいのはそこじゃない。
 
「ですから、叱らないであげて下さいね。…それでは、これで失礼します」
 
 さりげなく笑顔で去ろうとしたイルカさんの風呂敷を、僕は再びガッシと掴む。
 
「イルカさん」
「…はい」
「ひとまず、うち、来ませんか」
「…そういうわけには…」
「友人として招待、ということでいかがでしょう」
 
 イルカさんと僕は、当たり障りのない世間話をする程度の仲で、それが『友人』の定義に当てはまるかどうかは微妙なところだが、このさいそれは置いておく。
 イルカさんは少しだけ目を見開いたあと、しばらく迷い、控えめに頷いた。
 僕はホッとして、暗部達に『目標保護』とサインを送った。遠くの屋根で、暗部たちが万歳をして、僕を拝んだのが見えた。
 暗部にあんなサインはないが、言いたいことはよく分かった。
 
 
+++
 
 
 大量に見えた荷物も、部屋に放り込んでしまうと少なく見えた。
 歯ブラシや湯呑まで混ざっていたところを見ると、私物という私物は全部持ち出して来たらしい。そう思って改めて見れば、たったこれだけとさえ感じてしまう。
 そういえば、「イルカ先生は欲が無さ過ぎる」と先輩が嘆いていたなと、ふと思い出した。
 
 さすがに逃亡は諦めたらしく、イルカさんは勧めた椅子に素直に座った。
 インスタントですがと断ってからコーヒーを出すと、「俺も、いつもインスタントですよ」と笑って、ゆっくりと一口飲んだ。
 
「美味しいです」
「そうですか、よかった。それで…事情というか…聞いても構いませんか?」
「あ、ええ、もちろん」
 
 イルカさんは、コーヒーをひと口飲んでから言葉を続けた。
 
「ヤマトさんにも連絡はあったと思いますが…二日前、視察先でカカシさんが襲撃されました」
 
 ああ、あれか。確かに伝達の式が来た。襲撃があったが被害はなし、滞りなく処理は終わったと。
 
「俺はその時里に居ました。賊は皆忍び崩れで大した相手ではなかったのですが、どこかで俺を見たことがあったらしくて…まあ、もともと隠れてるわけでもありませんから。
 連中は、仲間の一人を俺に変化させて、火影のイロを捕らえたと言って、カカシさん達を脅そうとしたようです。すぐに変化と見抜かれたので、それは問題ありませんでした」
「……ええと…」
「抵抗した仲間に盾にされて死んだそうです。死んだら元の姿に戻ったようですが」
「……………」
「護衛を増やしたいまではまだ譲歩できましたが、里の外に出るな、本部に行くな、屋敷から出るな、部屋から出るなと。監禁じゃねぇか、そんなこと出来るかと言ったら、それなら別れると」
 
 僕は思い切りため息を吐いて、痛むこめかみを押さえた。
 なるほど、被害はなかったが先輩が盛大に自爆したらしい。
 

 理想の忍びとして憧れ続けてきた人が、存外穴だらけだと知ったのは、僕と先輩の長い付き合いの中では、わりと最近のことだ。

 「オレの大事な人なの」とイルカさんを紹介された時は、何を血迷ったかと思ったものだ。
 けれど、それまで一度も見たことがなかった、こたつで昼寝する猫みたいな顔で、「もうじきサンマの季節だねぇ」だの、「いつか争いのない世の中になったら」だのと話す先輩は、随分と幸せそうで。
 なるほど、他の生き方が分からなかっただけかと気付けば、すんなり腑に落ちた。
 明日自分がこの世にいようがいまいがどうでもいいみたいな顔をしていた人が、大事な人とやらが出来て、それなりに生きる目処が付いたのなら結構なことだと、歓迎していたんだけど。

 いや、歓迎していたからこそ。
 
 
―― これは頂けないなぁ…
 
 僕はしばらく考えて、イルカさんに言った。
 
「…提案なんですが」
「…はい」
「ここ、好きに使って下さい。外出はもちろんご自由に」
 
 眉を力いっぱい八の字にして、何か言おうとしたイルカさんを、手で止める。
 
「これからどうするにしても、当面の寝泊りの場所は必要でしょう?僕も任務があるからあまりお構いできませんし、イルカさんも遠慮は不要ですが、どうしても気になるのなら、僕がいる間の食事や、掃除をお願いします」
「…見たところ、あまり俺の出番はなさそうですが…」
「やってますが、大好きってわけではないです」
 
 イルカさんは、しばらく迷っていたようだったが、やがて諦めたように苦笑いして、「では、しばらくお世話になります」と言った。
 
 
 
 その夜、イルカさんが風呂に入ると、見計らっていたかのように窓が小さくカツンと鳴った。実際見計らっていたんだろう。
 カーテンを開けると、ナルトが窓枠の下からヒラヒラと手を振っていた。ドタバタ忍者なんて言われてたのになと、思わず頬が緩む。
 念のため、シャワーの音を待ってそっと窓を開けると、ナルトは小さな声で、「どう?」と言った。式で、ここにイルカさんがいることは知らせておいたのだ。
 
「当面はここにいてくれる気になったようだよ」
「そっか。良かった」
「今頃風呂で泣いてるかもね。なんだったら上がるの待って、慰めていくかい?」
「んー…いいや。イルカ先生、自分のことじゃ泣かねぇもん。慰めようがねぇってばよ」
 
 ナルトは途方に暮れたように眉を下げ、自分のおでこを見るような顔をした。
 ナルトがそう言うのなら、そうなんだろう。
 
「わかった。…それで、先輩は?」
「と―――ぶん口きいてやんねぇ」
 
 ナルトは、ぶーと頬を膨らませる。つまり、そういう状態ということだ。僕もやれやれとため息を吐いた。
 
「まあ、いいと思うよ…でも、任務の話はちゃんとするんだよ?」
「わかってるってば。じゃ、もう俺行くから。イルカ先生のこと、頼むってばよ」
「ああ」
 
 僕が頷くと、ナルトはニッと笑って印を切り、煙と共に消えた。影分身か。ということは、本体は仲間たちと一緒にいるんだろう。火影の椅子は明日から針の筵と化すわけだ。
 ほんの少しだけ、同情する。ほんの少しだけだけど。
 
 
+++
 
 
 翌日はオフだったので、朝からベランダで胡桃の実を洗っていると、朝食の片付けを終えたイルカさんが、後ろから覗き込んできた。
 
「今、胡桃の時期じゃないですよね…?」
 
 イルカさんの言う通り、胡桃の時期は当分先だ。
 僕は水を止め、実をバケツから一つ取り出して手のひらに乗せた。イルカさんは興味津々で顔を近付ける。反応がナルトと同じだなぁと思いながら、僕は胡桃にゆっくりとチャクラを流し込んだ。
 胡桃は発芽し、小さめの木に育ち、花を咲かせ、十個程の実がむくむくと育つ。イルカさんは、うわ、うわ、と目をまん丸にした。実は熟すと黒くなって割れ、勝手にパラパラと落ちる。最後に木だけ引っ込めてしまえば完了だ。
 
「好物なので。たまにこうやって作り置きをね」
「すごい…!そうか、そういえばヤマトさんは木遁をお持ちでしたね」
 
 すごいなぁと目を輝かせているイルカさんに、僕はちょっと笑ってしまう。
 『あの木遁使い』と言われることはあっても、木遁使いだってことを忘れられることはなかなかない。なるほど、こういう所かと納得してしまった。
 イルカさんはひとしきり感心してから、いそいそとアンダーの袖を捲り始めた。
 
「俺にもやらせて下さい」
「じゃあ、お願いしようかな。あ、手はチャクラでガードしてください。汚れるので」
「大丈夫です。昔おふくろや親父と一緒にやってましたから」
 
 懐かしいなぁと言いながら、さっそく実から種を取り出し、束子で洗っていく。確かに慣れているようだ。僕も作業を再開した。
 イルカさんは、ひとつひとつ丁寧に洗い、綺麗になった胡桃を手のひらに乗せて眺め、納得してから次を手に取る。そういう性格なんだろう。
 しばらく、水の流れる音と、胡桃を擦るシャカシャカという音だけが響いていたが、ふと、イルカさんが「ナルト、なにか言ってましたか」と言った。
 
「気付いてたんですか」
「いえ。あいつに本気出されたら、俺じゃもう手も足も出ませんよ」
 
 それでも来たと分かったわけだ。この二人の繋がりは、多分もう理屈じゃないんだろう。
 
「あなたが風呂に入ってる間に来ましたよ。あなたは自分のことじゃ泣かないから、慰めようがないそうです」
「そんなこと言ってたんですか?まいったな…」
「あなたに頼りにされたいんじゃないですか?」

 もう十分頼ってるのになぁと、イルカさんは困ったように笑う。

「イルカさん」
「はい」
「これ、任務に行く前に多めに作っておくので、気が向いた時にでもお願いします」

 イルカさんが手を止めて、僕の顔をじっと見る。

「…なんですか?」
「ヤマトさん、優しいですね」
「…優しい接し方は好きですよ。恐怖による支配も嫌いじゃないですが」
 
 そう言うと、イルカさんはおかしそうにクスクス笑った。
 
 
 
 僕と先輩が全く顔を合わせずに済むわけはなく、数日後、式鳥に呼び出された。
 先輩は、いつも通りに見えるのほほんとした笑顔で、僕にSの文字が書かれた任務依頼書を差し出す。僕も笑顔で受け取り、目を通す。
 
「何か質問は?」
 
 先輩こそ僕に聞きたいことはないですか、そうですか。
 
「ありません。拝命いたします」
 
 まるで『火影様』と話をしているみたいだ。
 ナルトの「と―――ぶん口きいてやんねぇ」の意味がよく分かった。
 

+++
 
 
「イルカさーん、これ温泉饅頭。俺、昨日湯の国で任務だったんすよ」
「それは、ご無事で何よりでした。お気遣いありがとうございます」
「あー、固いのはナシナシ。皆で食いましょう」
「ねぇねぇ、急須どこだっけ?」
「ぼく知ってる。そこの食器棚の上から3番目」
 
「あのね君たち、ここは誰のおうちかな…?」
 
 「いーじゃーん」とか「だってー」とか、子供みたいな声が上がる。暗部が面外して寛ぐってどうなんだ。まあ流石に目くらましはしているが。
 
 
 イルカさんが来て以来、暗部の面子がちょくちょくうちにやってくる。今日は三人。僕が任務の間も、窓から様子を見に来たりしてるらしい。
 任務はきっちりこなしているようなので、僕も好きにさせている。
 イルカさんも、逃げて余計に心配させるよりはと判断したようだ。買い物に行ったり、アカデミーに顔を出しに行く前には、「暗部さん、俺、出掛けますね」と、ちゃんと声をかけている。つくづく律儀な人だ。
 
 
 イルカさんが、「あの、お茶は俺が用意しますから、みなさんごゆっくり」と、キッチンに向かった。「あ、ぼく手伝いますよ」と、鼠がその横に立つ。
 
 酉が、饅頭の包み紙を解きながら「あ、そういや」と言った。
 
「ヤマト先輩、こないだの谷の国の、ダメっした」
「やっぱり埋まってたか。他に水源は?」
「アレじゃ作った方が早いっすよ」
 
『…で、“敵”の動きは?』
 
 口では任務の話をしつつ指で尋ねると、戌の指が答える。
 
『いつも通りですよ。仕事はね』
『…そう』
 
 酉が、不満そうに『分かってるくせにイルカさんのこと聞きもしねぇし。かわいくねぇの』と付け加えた。
 
 それは、分かっているからだ。だから何も聞かないし、何もできないでいるのだろう。
 
 いつもならその信頼が嬉しいが、今はバカな人だなぁ、と思う。
 イルカさんが望んでるのはそんなことじゃないのに。そのくらい、分かってるだろうに。
 
 部屋の隅の棚の上に置かれた籠には、綺麗に磨かれた胡桃がこんもりと山積みになっている。

―― さて、どうしようか

 籠から胡桃がひとつ、転がり落ちた。
 
 
+++
 
 
 コン
 
「イテッ!」
 
 おや、命中した。
 先輩は頭のてっぺんをさすりながら、机の上に転がった胡桃を摘み上げ、嫌なものに触ってしまったみたいに、机の隅に押しやった。
 
「先輩、ちょっと油断しすぎじゃないですか。戦場なら死んでましたよ」
「胡桃にあたって死ぬようじゃ、その辺で散歩してたって死ぬでしょうよ。…呼んでないでしょ。何の用?」
「それは先輩がご存じでしょう」
 
 返事はない。僕が天井にいることは分かっているくせに、ちらともこちらを見ない。
 さも忙しそうに手に持った書類は処理済みだ。印を押そうとして、そのまま何事もなかったかのように元の山に戻された。

 噴き出さなかった自分を褒めてやりたい。兎面が僕の横で蹲ってプルプル震えている。かわいそうに、さぞかし腹が痛いだろう。
 なんだ、案外ちゃんと腑抜けてるじゃないか。
 
―― しょうがないなぁ
 
 しょうがないなぁ、という気分になってしまった。しょうがないから余計な世話を焼いてやろう。
 
「その胡桃」
「…なに、うっかり落としちゃったの?返すよ」
「受け取った方がいいと思いますよ。受け取らずに後悔して下さっても僕は構いませんが」
「………」
 
 先輩は胡桃を手のひらに乗せた。そのまま、指の先でそっと撫でる。
 
「残りはうちにありますから。いらなきゃそれ、返しに来てください。いるなら、取りに来てください」
 
 僕は仕掛け板をそっと閉じた。
 
 
+++
 
 
 トントン  トン
 
 
 夕食を終え、二人して本を広げていると、玄関の扉が鳴った。
 
「お客様ですか?俺、部屋に行ってましょうか」
「いえ、いて下さい」
「そうですか…?あ、じゃあ、お茶の用意します」
「ああ、そうですね。お願いします」
 
 僕は玄関に向かい、扉を開けた。叱られてしょげた犬みたいな顔がそこにあった。
 やれやれ、やっと正気に戻ったか。
 
 促すと、先輩は大人しく僕の後に付いてきた。
 リビングの扉を開けると、イルカさんが顔を上げ、多分、お邪魔してますとか、こんばんはとか言おうとしたんだろう、口を開けて、そのまま固まった。
 しばらく無言のまま先輩を見つめ、それから唇を噛みしめた。律儀にガスの火を止めてから、すたすたと部屋の奥へ歩いていく。
 
 
 
 コン
 
 
 
 胡桃が先輩の肩に当たって跳ね返り、カラカラと長閑な音を立てて床に転がった。
 
 コン コン カツン カツン コン カラカラ カツン カラカラ カラカラ…
 
 胡桃は次々に先輩に当たっては、転がっていく。
 やがてイルカさんは、胡桃の籠を持ち上げて、先輩の頭の上でひっくり返した。ザラザラと胡桃の雨が先輩に降り注ぐ。
 
「このっ…大バカ野郎!!」
 
 イルカさんは籠を握りしめたまま叫んだ。泣き声だった。頬に、後から後から涙が伝う。空いた方の手で床に落ちた胡桃を拾い上げて、また先輩に投げつける。
 先輩はピクリとも動かず、胡桃は先輩に当たって跳ね返った。
 
「いっつもいっつも危ねぇ目にあってんのはアンタじゃねぇか!俺が平気でいると思ってんのか!!」
「…ごめんなさい」
「どうせまともに飯食えてねぇんだろう!」
「…ごめんなさい」
「夜もろくに眠れてねぇんだろうが!!」
「…ごめんなさい」
「離れてちゃ、慰めてやることも抱きしめてやることも…なんにも…なんにもしてやれねぇじゃねぇかよ!!」
 
 言い終わる前に、先輩はイルカさんを抱きしめた。
 
「うん、ごめんなさい。イルカ、ごめんね、本当にごめん…」
 
 イルカさんの手から籠が落ち、その手は先輩の背中にしがみつく。
 あやすような声で「ごめんなさい」を繰り返す先輩の腕の中で、イルカさんは子供みたいに泣き続けた。
 
 
+++
 
 
 ふと気配に気付いて顔を上げると、ナルトがベランダの手摺りの上に腰かけて、ヒラヒラと手を振っていた。
 
「やっぱり胡桃洗ってた」
「特別講師は終わったのかい?お疲れさま」
 
 軽く手を洗いながら言うと、ナルトはニカ、と歯を見せて笑った。
 
「あのくらいじゃ疲れねぇってばよ。…なぁなぁ隊長、アレさ、最初っから狙ってた?」
「え?ああ…まさか、偶然だよ」
 
 
 ナルトが内緒話のようにヒソヒソと訊いてきたアレとは、例の胡桃のことだ。
 あの日、先輩がイルカさんの荷物と一緒に、ひとつ残らず持って帰った。おかげで、僕はまた胡桃洗いというわけだ。
 
 本当に偶然だった。籠から落ちた胡桃を戻そうと、手に取ってみて気が付いたのだ。
 洗っている間、先輩の事ばかり考えていたんだろう。イルカさんの柔らかなチャクラが、うっすらと殻の周りを包んで、不安げに揺れていた。
 文字通り、イルカさんの愛が込もった胡桃というわけだ。そりゃあ置いて行くわけにはいかないだろう。
 「お世話になったお礼だったのに」と慌てるイルカさんに、そのことを教えてあげると、真っ赤になって床に突っ伏していた。

 イルカさんとは、今度一緒に飲みに行くことになっている。
 胡桃は先輩が「誰にもあげないもんね」と抱え込んで、毎日食べているらしい。
 食べ過ぎて腹壊さなきゃいいけど、とぼんやり考えていたら、ナルトが手摺りから降りて来て、洗い終わった胡桃をザルから一つ手に取った。そうして、まだ水滴が付いたそれを陽にかざしながら、眩しそうに目を細めて言った。
 
「隊長のチャクラも、たまに残ってるよな」
「え?」
「これにも残ってるってばよ」
「…あー…そうなんだ…」
 
 オフとはいえ油断しすぎだろう…。先輩のこと笑えないなと、僕は後ろ頭をカリカリ掻いた。「ホントに気付いてなかったんだな」という声は、ちょっと得意そうだ。
 
「まあ、残ってるったってほんのちょびっとだし、自分のチャクラって分かりにくいもんな」
 
 ナルトは無邪気にニシシと笑う。
 
 
「隊長ってば、ほんっと好きなんだな、胡桃!」
 
 
 うーん、そうきたか。
 ま、今日のところはそういうことにしておこう。

おわり

【ピクシブでご活躍中の、虫 様】からのいただきものです。
ある日、虫さんからまさかのメッセージ。「お祝いに、もし、なんか、リクとかありましたら…」「(゜o゜)……まじっすか」身に余る光栄にポカーンとしてましたが、我に返って速攻「不憫じゃないヤマトが別れの危機にあるカカシとイルカをかっこよく救うお話が読みたいですっ」とキーボードを叩き壊す勢いで打ち返してました。そしてgetしたこのお話! テンゾウの萌えポイントをすべて網羅しつつ、カカイルとしてもキュンキュンの展開に愛らしい胡桃と暗部添えて。ムハーっ。ぐはーっ。幸せです。。。
タイトルは古今和歌集『春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる』からで、「香りは隠れるだろうか。いや隠れねぇよ?」みたいなニュアンスだそうです。タイトルからしてすごいですね!!
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