二人のクリスマス
ナルトの部屋を出たイルカは、鉄製の外階段を、音を立てないようにそうっと降りはじめた。思えば今までこの階段を何度往復したのだろう。
これから何回往復できるのだろう。
アカデミーを無断欠席した日には、風邪を引いたかと心配になって授業が終わるとすぐに駆け付けた。
大抵はナルトのサボリで、雷を落とすことになったけれど、稀に高熱を出し苦しむナルトを見つけたときは胸が潰れそうなほど心配し、必死に看病したものだった。
夏休みや冬休みのときだって、ちゃんと生活しているか気になって、一週間に一度は様子を見に行った。
本当は毎日でも行きたかったけれど、先生と生徒としての関係を考えて、なんとか思いとどまった。
教師として分け隔てなく生徒に愛情を注がなければいけないと思うし、実際そうしてきたつもりだけど、真っ直ぐに自分に好意を向けてくるナルトは。
九尾を胎に収め懸命に生きる子は、やはり特別だった。
結婚すれば、ナルトもこのアパートを出るだろう。
ここに通うことも、無くなってしまう。
日々の生活もヒナタが整えてくれる。
カップラーメンばかり食べているんじゃないかとイルカが気を揉む必要もなくなる。
万が一、風邪をひけばヒナタが献身的に看病するだろう。
クリスマスや誕生日。
ナルトが嫌っていた特別な日は、ナルトにとって家族との大切な時間になる。
全てイルカが心から望んだことだった。
もうすぐ全部叶うのに。
階段を下りきったイルカは空を仰いだ。
「ちょっと寂しいって思っちまうのは、俺のわがままなんだろうな」
小さな声でそう零すと、忍服の間から忍び寄る冷気に身を震わせ、再び歩き出した。
今日は何故だか歩いて帰りたい気分だった。
寝静まった里に、クリスマスのイルミネーションが輝く。
赤や青、緑の光で彩られた里は、いつもとは全く違っていた。
――こんなに、綺麗になるんだな。
クリスマスの時期はとても忙しくて、主に瞬身を使って移動していたから、イルカが光の宝石で飾られた里を見るのは初めてだった。
自分を後回しにしたまま随分な歳月を重ねてしまったものだと、イルカは苦笑いを零した。
いつもと違う里の風景を楽しみながら、イルカは自宅への道を辿る。
アパートが見える場所に来ると、立ち止まり、自分の部屋に目を向けた。
自宅に明かりが灯っていないかを確認するクセがついたのは、もう随分と前からだ。
窓から放たれるオレンジ色の暖かな光を見つけたイルカの眼がキラキラと輝く。
――帰ってるんだ。
少し寂しかった気持ちが、元気になる。
ゆったりとしていた足取りも、早くなって、いつしか駆け出していた。
それでも逸る心に追いつけなくて、ついには立ち止まり、瞬身の印を結ぶ。
使い慣れた術は、あっという間にイルカを部屋の中へと運んだ。
「おかえりなさい！ カカシさん」
「ただーいま。イルカ先生も、おかえり」
急に自分の前に現れたイルカに驚くこともなく、カカシが優しい口調で迎え入れてくれる。
優秀なカカシのことだ。きっと僅かなチャクラの乱れを感知していたのだろう。
「カカシさん、サスケには会えましたか？」
カカシは満足そうに目を細め、うなずいた。
「うん。会ってちゃんとサンタさんしてきました」
「それはよかったです。思っていたよりも早いお帰りだったので、会えなかったのかと心配しました」
嬉しそうに微笑むイルカにカカシも頬を緩める。
そして、ひょいひょいとイルカの前まで来たかと思うと、何の前触れもなくイルカを抱きかかえた。
巷でいうところの、お姫様抱っこ。
「えっ？ ちょっ？ カカシさん？？」
「急いで帰ってきてくれたのは嬉しいけど、アナタ靴のままでしょ？ 玄関まで運んであげるから、おとなしくしてなさいよ」
「あっ。いっいえ、自分で歩けます！！」
「靴履いたまま？」
「いやっ、脱いで、手で持って歩いていきます」
「そんなのめんどくさいでしょ。いいから、おとなしく俺に抱かれてな」
整った素顔を間近に寄せられ、甘い声で囁かれるとイルカはもう黙るしかなかった。
真っ赤になった顔を見られたくなくて、カカシの胸に顔を埋める。
「かわいいね、せんせ」
「へ、変なことを言わんでくださいっ」
強がってみるものの、カカシの言葉が嬉しくて、耳まで真っ赤になってしまう。
鍛え上げられた両腕に、心ごと全身を預けきる。
カカシの身体の温もりが、イルカの肌に伝わる。
胸の鼓動が、耳に聞こえる。
――あぁ、俺、この人が好きだなぁ
イルカはしみじみとそう思った。
うすら寒い廊下の終わり。
要は玄関まで来ると、カカシはイルカを抱いたまま靴を脱がせ、玄関の端に並べて置いた。
それから、また廊下を戻る。
イルカはカカシの腕の中があまりにも心地よくて、されるがままになっていたが、カカシが寝室のドアを開けたところで我に返った。
「あのっ、カカシさん。色々と話したいことがあるので炬燵にいきましょう！」
「ここでいーよ。だって話ならベッドの上でもできるでしょ？」
結局、決定権はカカシにあるのだ。
長く生活を共にしている間にイルカもそれは分かっていた。
カカシはそのまま寝室に入ると、ベットの端にイルカを座らせ、自分もすぐ隣に腰を落ち着けた。
すぐさまベッドの中に引きずり込まれ、身体を暴かれるものだと思っていたイルカはきょとんとした目をカカシに向ける。
カカシはイルカの行動の意味を全てわかっているようで、ゆったりと笑った。
「だって、サスケのこと気になるでしょう？ 俺もナルトのこと、気になるし」
「は、はいっ」
ぴっちり合わせた膝頭の上に、握りこんだ拳を置くイルカが可愛くて、カカシは思わずその唇をイルカの頬に寄せた。
ビクッと身体を震わせたイルカを、愛おしげに見ながら言葉を紡ぐ。
「サスケね、里の近くまで戻ってきてたんです」
「え？」
「なんだかんだ言って、里やサクラのことが恋しかったんだろうね」
イルカの眼に痛切な光が宿るのを、カカシは泣き笑いの顔で見つめた。
「アイツにね、これから毎年クリスマスプレゼントを届けに行くって宣言したらビックリしてた。でもね、プレゼントは気に入ってくれたみたいで、ありがとうって言ってもらえたよ」
「あのサスケが素直にありがとうって？ ちょっと信じられませんね。カカシさん、一体何をあげたんです？」
「サスケはね、里から随分離れた森の中から、阿吽の門をずっと見てたの」
「そんな……」
「うん。帰ってきたかったんだよ。きっとサクラに逢ってやりたかったんだろうね。可哀想だよね。
せめて里を見せてやりたくて、俺は式を飛ばして、明け方まで門を開けるようにお願いしたのよ」
「それは思い切ったことをしましたね。でも、サスケは嬉しかったと思います」
「うん。それでね、俺もビックリしたんだけど、門の内側にサクラが立ってた。
サスケとサクラはお互いの存在を知らないまま、その実、門を隔ててずっと見つめ合っていたんだ」
「そう……でしたか」
サスケとサクラの気持ちを思い、イルカの瞳からパタパタと涙が零れ落ちる。
カカシはイルカの頭を胸に抱き込み、背中をゆっくりとさすってやった。
「クリスマスには愛の奇跡が起こるんだね。ねぇ、イルカ先生。すぐには無理だけど、サスケが里に帰れるよう、サクラと結ばれるよう、火影として頑張りますから、どうか泣かないで」
「はっ……はいっ」
懸命に涙をひっこめたイルカが、カカシから身を離し、ふたりの視線が真っ直ぐに絡んだ。
「イルカ先生、今からでも遅くないって言ってくれてありがとう。サスケを甘やかしたい気持ちを大事にしろって言ってくれてありがとう」
「カカシさんっ！」
感極まったイルカが両腕を広げてカカシに抱きついてきた。
「あなたから抱きついてきてくれるなんて……すっごく嬉しいです」
「よく頑張りましたね。カカシさん、本当に良く頑張った。偉かったです」
「うん。ありがとうね。イルカ先生」
カカシは優しい手をイルカの背に回す。
男泣きに泣く腕の中の人を心底好きだと思った。
イルカが落ち着くのをまって、カカシは穏やかに話しかける。
「で、ナルトはどうだったんです？」
「俺が来るのを待ってました。随分前から俺がサンタさんだってバレていたみたいで」
「そりゃそうでしょうよ。で？」
「ナルトは立派な大人になったから、もうサンタさんは来ませんって言ってきました。ナルトも納得してましたよ」
「そっか、ちゃんと言えたんだね。良く頑張ったね、イルカ先生も」
「ははっ、正直なところ少し寂しいですけど。でも、俺にはカカシさんがいるから」
そう言うと、イルカはカカシの胸により一層強く顔を押し付けた。
カカシの胸に温かな気持ちが湧き上がり、全身を満たしていく。
カカシの手がイルカの黒髪を愛しげに何度も撫でる。
「カカシさん、俺ナルトに心配されました。いい歳して恋人もいないって思われてたみたいで」
「そっか」
「ナルトが幸せになるまでは、って自分にずっと言い聞かせてきたけど、もう自分の幸せを求めてもいいかなって思うんです」
「うん。そうだね。俺もね、サスケに言われちゃったの。俺が瞬身で消える直前にね。あいつったら小声でつぶやいたんだよ。いい加減にイルカ先生のこと、責任取れ、って。それがサスケが来年受け取りたいプレゼントなんだって」
「そうでしたか。サスケが、そんなことを」
「うん。だから、ね。先生。もういいよね？ 俺のプロポーズ受けてよ」
カカシとイルカが恋仲になったのは、カカシが上忍師についてすぐの頃だった。
イルカの全てに惹かれたカカシは、すぐさま求婚したけれど、同性婚が認められているにも関わらず、イルカはカカシの望みを退けた。
カカシの伴侶であるよりも、ナルトが独り立ちするまでは、ナルトにとって最も近しい存在でいてやりたかった。
イルカの想いを察したカカシは、イルカがナルトの手を離す、このときを待ち続けていた。
イルカの強い瞳がカカシを見返した。
「お待たせして申し訳ありませんでした。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
その言葉と共に、カカシは強くイルカを抱き込む。
生涯の伴侶に、と望み続けた人の全てをようやく手に入れたのだ。
その喜びがカカシの全身から溢れでている。
「イルカ、イルカ。ありがとう。一生大切にします」
「俺も。カカシさんを一生大事にします」
イルカの髪を解き、頬に口付けをおとし、ゆっくりとその身をベッドに横たえる。
愛しい身体を両腕で囲い込み、誓いの口付けをイルカへと贈った。
くすくすと笑いあい、満たされた気持ちで身体を繋いでゆく。
ふたりきりで迎える初めてのクリスマス。
幸せでとっておきの、クリスマス。
カカシとイルカは、いつもよりも随分と熱い夜を過ごしましたとさ。
ハッピーメリークリスマス！
（クリスマス三部作、やっとカカイルになりました……！！）
2016.12.26 UP
