最初のクリスマス
森は闇にとっぷりと浸かっていた。雲ひとつない空には、まぁるい月と沢山の星が地上に向けて綺麗な光を放っていたが、明かりのほとんどが木々に遮られ、森の中までは届かない。
その森に、二つの人影が有った。
黒い髪を持つ、年若い片腕の男ーしかしその眼には年齢に不釣り合いな苦悩が滲みでているーと、黒の男よりも随分と年嵩のいった銀髪の美しい男。
「俺に何の用だ」
数分前に森の中で鉢合わせ、言葉を交わすことなく互いを見つめ合っていた二人だったが、年若い男が先にしびれを切らして話しかけた。
「久しぶりだぁね。サスケ。お前に会いたくて探していたんだ」
「火影様が直々に？ 任務関連ならば式を飛ばせばいいだろう」
ぷぃと横を向いたサスケからの刺々しい言葉に、六代目火影・はたけカカシは眩しいものでも見るように目を細めて頬を緩める。
――あの頃と少しも変わってないんだな。サスケ。
険しい表情を作っているくせに、目尻がほんの少し下がっていて、頬がちょこっと膨らんでいる。
目の前にいる立派な青年に、子どもの頃の姿が重なった。
他人の好意を素直に受け取ることが苦手なサスケ。
ナルトから信頼を、サクラから好意を寄せられるたびに、ポケットに両手をつっこんで背中を少し丸めてから、勢いよく顔を背けた。
それを見たナルトは怒り、サクラはガッカリしていたけれど、その頬がほんのりと赤く染まっていることを彼等が知っていたら、違った未来があったのだろうか。
可愛いなぁ、なんて呑気に見守るだけではなく、サスケの気持ちを仲間に伝えていれば。
もっと彼等の間に入って仲を取り持っていれば、何かが変わったのだろうか。
憎まれ口ばかり叩きながら、本当は仲間を思っていたサスケ。
心根は優しいけれど、不器用で頑固なサスケが、大切で可愛くてならなかった。
溢れ出る気持ちのままに、この両手に抱きしめ、髪がぐしゃぐしゃになるまで頭を撫でていれば、サスケは、里に居られたのだろうか。
教え子の横顔を映すカカシの目が、哀しみに彩られた。
「任務なんかじゃ、ないよ。今日はクリスマスだからね。どうしてもお前に会いたかったんだ」
「クリスマス？」
カカシの口から出た意外な単語に、サスケは反応してしまう。
「そ。俺ね、決めたの。これから毎年お前にクリスマスプレゼントを届けるから」
カカシの突飛な宣言に、サスケは驚き言葉も出ないようだ。
目を見開き、口をポカンと開けて、カカシの顔を正面から見つめている。
「くっ……あはは。ごめん。その顔、可笑しい」
カカシが悪びれず笑うから、サスケはバツが悪そうに表情を元に戻す。
「なぁ、サスケ何が欲しい？」
「お前から何かを貰おうだなんて、思ってない」
「うん。そんなこと知ってるよ。俺がサスケにプレゼントしたいだけなの」
カカシは野生の動物に近づくような慎重さで、少しづつサスケとの距離を詰める。
「言い訳がましいけどさ、俺ね、本当はお前等をベタベタに甘やかしたかったの。お前らってさ、上忍師になって受け持った最初の生徒なわけよ。俺はガキの扱いも分からないし、不思議な生き物って認識しかなくって、正直なところ最初は仕事だから面倒を見てるって思いしかなかったの。だけどね、一緒にいろんな任務やって。お前らが必死に修行している姿見て、泣いたり笑ったりしてる顔を見てるうちにさ、ほんと不思議なんだけど、可愛いなぁ、自分の命に代えても守ってやりたいなぁ、って思うようになった」
サスケには珍しく、じぃっとカカシの眼をみながら話を聞いている。
カカシはまた一歩、サスケへと踏み出した。
「でも、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。そうなるとお前等を強い忍にしてやることが俺に出来る唯一のことだって思った。だからさ。この両腕でお前等を囲い込んで、お前等を傷つける全てのものから守ってやりたいって気持ちを押し殺しちゃった。特にお前には、随分と厳しく接したよね。そうすることが最善だって信じていたんだ。だけど違ってた。俺は大変な思い違いをしていたんだ」
カカシの深い後悔に彩られた目を見るのが辛くて、サスケは自らの泥にまみれた足元に視線を移した。
かつて、この足でサスケは里から、ナルトから、サクラから、カカシから、そして自分自身から逃げたのだ。
本当は気付いていた。
カカシから向けられる深い愛情に。ナルトから寄せられる友情に。サクラの真摯な想いに。
そこから目を背けたのはサスケ自身。
闇に差し込んで来たカカシという光は、サスケには眩しすぎた。
慣れ親しんだ暗い世界から、未知の世界にひっぱり出されるのが恐ろしかった。
「カカシ。俺の里抜けは、お前のせいじゃない」
その言葉をサスケは喉から絞り出した。
大切な師を、仲間を、傷つけ、苦しめたことへの後悔はいつだってサスケを苦しめる。
カカシは両眉を寄せ、目を伏せていた。
口布の下で、小鼻が小刻みに動いている。唇も、震えていた。
「そんな顔を、するな。カカシ」
泣くのかと、思った。
自らに降りかかった幾多の不幸を哀しみを、決して他人に悟らせなかった強い男が、自分のために泣くのかと思った。
「なぁ、サスケ。オマエも俺も、理屈にとらわれすぎたんだよ。俺たちはもう少し、自分の心に素直になるべきだったんだ」
カカシはまた一歩、足を進める。
それから腕を肩の位置まであげ、血管の浮き出た大きな手を伸ばし、サスケの頭の上にボスンと置いた。
手元に置いて育てていた頃は、サスケはまだ小さくて、頭に手を置くために腕をあげる必要などなかった。
「大きくなったなぁ、サスケ」
感慨深く呟く。
昔はこんなに距離を詰めてしまえば、下を向いたサスケの表情を伺い知ることなど出来なかったのに、今は俯いたサスケの顔が見える。
サスケは、眉をぎゅっとよせ、何かに耐えるような表情で唇を噛みしめていた。
――おまえ、いつもそんな辛そうな顔してたの？
カカシの胸に、後悔とやるせなさが満ちる。
――ごめんな。サスケ。気付けなくて、ごめん。
「今からでも遅くないって、イルカ先生に言われてね。俺は自分の気持ちに素直になることにしたんだよ。俺はね、毎年お前にクリスマスの贈り物をしたいの。もちろんお前が迷惑じゃなければ、なんだけど」
カカシの言葉は、サスケの胸にスゥっと入りこみ、そこを温かくした。
差し伸べられた手を拒み続けたのに、何度でも手を差し出してくれたカカシ。
人生の師ともいえる彼の手を今度こそ取りたいと思う。
だけど、何と言おう。何と伝えればいい？
考えれば考えるほど、言葉が出てこない。
言葉で語るには、あまりにも深く重く大切な気持ちだった。
やがて、一筋の涙と共に、唇から自然と零れ落ちた言葉があった。
「迷惑じゃない」
「ん……」
サスケの涙には気付かないふりをして、カカシは互いの腕が触れるか触れないかの距離をとり、サスケの隣に並び立つ。
顔をあげると、木の葉の里の阿吽の門が遠くに見える。
カカシは、ハッと息を飲んだ。
帰還を赦されぬ里の入り口をサスケが見つめていたのかと思うと、胸が詰まった。
サスケはサクラの為に、聖夜に合わせ戻ったのだろう。
会うことが出来なくても、会いに来たことすら伝えられなくても、サクラの側に居てやりたくて。
それは、不器用なサスケの精一杯の愛情表現だった。
出来れば帰らせてやりたい。とカカシは思う。
数日でもいい。里に連れ帰って、温かな食事と寝床を用意してやりたい。サクラに会わせてやりたい。腕の治療をしてやりたい。
だけど、それは火影であるカカシの権限を持ってしても、叶えることの出来ない願いだった。
ならばせめて。
カカシの手のひらから、一枚の紙が現れた。
紙はたちまち小鳥の姿へと変わり、闇を切り裂き、阿吽の門へと真っ直ぐに飛んでゆく。
小鳥がどんどん小さくなっていく様子を、二人は言葉もなく見つめていた。
しばらくして、門の中心から光が漏れた。
里の光だ。
サスケは今から起こる全てを見落とすまいとでもするように、目を見開いている。
興奮に握りこんだ拳が、ほんの少し震えていた。
門がゆっくりと左右に開き始めた。
光はどんどん増えてゆき、ついには門越しに木の葉の里がサスケの眼に映る。
「あぁ……」
懐かしい、故郷。
産れ育った里での陰惨な記憶。
それに連なる恨みや憎しみの下には、里を愛する気持ちが、楽しかった暮らしが、優しくしてもらった幸せな記憶が沢山隠れていた。
里抜けをして、ついには里に戻れぬ身になって、はじめて気付いた。
カカシ、イルカ、ナルト。
そして、サクラ。
惜しみない愛情と笑顔を、どんなときでも自分に向けてくれた人。
「サ……クラ」
愛しさが、胸をかき乱す。
「サクラ！！」
信じられないことに、大切な人が、会いたくてたまらなかった人が、門の内側に立っていたのだ。
名前と同じ桜色の髪を風に嬲らせ、大地を踏みしめ潔く立つその姿は、手のひらほどの大きさしかなかったけれど凛々しく美しかった。
サクラもまた、遠い森の中、全身全霊を注いでこちらを見つめるサスケを見つけていた。
言葉もなく、ただ見つめ合う二人。
瞬きする間さえも惜しんで、互いの姿を心に刻みつけている。
一秒一秒が、宝石の価値をもつ。
何も話さなくても、確かに伝わる想いがあった。
静寂の逢瀬の邪魔をせぬようにと、カカシがその場を離れようとしたとき、サスケの言葉がカカシを引き留めた。
「カカシ……ありがとう」
その言葉を貰えたならば、やり直すことが出来る。
満たされなかったサスケの子ども時代を、愛してやれなかったあの頃の自分を、これからの人生をかけて救うことが出来る。
――よかった。間に合った。
長年の胸のつかえが溶けてゆく感覚に、カカシは安堵の溜息を洩らした。
少量のチャクラを練り上げながら、サクラを見据えるサスケに微笑む。
「門を開けたのは俺だけど、サクラがそこにいたのは、神様からのプレゼントだぁよ。メリークリスマス、サスケ」
温かな声を残し、カカシは瞬身の印を切った。
おしまい。
（えっと、「最後のクリスマス」と「最初のクリスマス」の続きで、「二人のクリスマス」って話をクリスマスまでにUPしたいって思ってたのですが。あ、あれ？ れれ？ もう24日？ え？）
