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   猫の恋


我ながら馬鹿なことをしていると思った。

俺は生い茂った下草に半ば埋もれるように森の中を歩いている。

ここのところ激務が続いているカカシさんは、今日も朝から任務が入っていた。
それは他里に密書を届けるという、彼にとっては他愛のない任務だったが、俺はカカシさんの身が心配で、こうして彼の後をコッソリつけているのだ。

本当に馬鹿らしい。

彼はこのくらいの任務なら両目を瞑っていてもこなせるくらいのエリートで、誰の助けも必要としない。
ましてや、カカシさんが手間取るくらいの有事に至ってしまえば、中忍の俺なんて助けになるどころか足手まといになるはずだ。
そんなことくらい、分かっているのに。

俺はカカシさんの足元を見つめながら歩く。
村人に扮している彼の足もとは露わになっていて、普段サンダルに守られている彼のくるぶしは白く、目に眩しい。

カカシさんの、舞のように静かで無駄のない美しい足運びや、地に足を付けたときに盛り上がる筋肉の動き、几帳面に切りそろえられた形の良い爪に見惚れて。

本当に、どうかしている。
目を閉じて、ぶるぶると顔をふっていると空から声が落ちてきた。

「おーい、オマエ。里からずっと俺についてきてるでしょ」

しまった見つかった!
逃げ出す暇もなく、カカシさんの手が俺の首元に伸びてきて、俺をひょいと持ち上げる。

「にゃぁ!」
「ん〜。可愛い鳴き声。でも、こんなとこまでついてきちゃったら、帰りが大変でしょ」
「にゃぁっにゃぁっ!!」

俺だってバレたらどうしよう!? やっぱりなんとしてでも逃げなきゃ!

「だぁ〜いじょうぶ、だいじょうぶ」

カカシさん……気付いてないのか?
確かに俺は変化の術が得意で、火影様だって騙せるくらいで……。そっか気付いてないんだ。よかった。

静かになった俺をみて、にっこりとカカシさんが笑った。

日だまりのような、優しい笑顔。
俺の見たことのない、笑顔。

すごく、綺麗で、心臓が早鐘を打ち始める。
猫の心臓って小さいのに、こんなにドクドクしてたら、きっと破れてしまう。
身体もあり得ないくらいに火照って。
だめだ。逃げよう。とにかく今は逃げるんだ!!
ほとぼりがさめたら、今度はもっと距離をとって追跡するんだ。


俺は、彼の着物の合わせの隙間の素肌にガリッと爪を立てた。
これで無礼な猫は放り出されるはずだ。

「んっ、痛ッ」

その声の色香と、眉を僅かに歪ませたカカシさんの顔がとても淫靡で。
閨でもきっとこんなふうに……。

「に”、に”やぁああああーーーーーーーーっ!!」

どうしよう。さっきよりずっとドキドキしてる!!
しかも、カカシさんは俺を放り投げたりしなかった。

「ごめーんね。びっくりさせたね。いきなり掴みあげられて怖かったかな? 大丈夫だぁよ」

そう言って、俺の頭を優しく何度か撫でてから、眉を少しさげた困り顔で、きゅぅと抱きしめてくれた。

俺の胸と(猫だけどな)カカシさんの胸がピタリとくっつく。
幸せすぎて、気絶しそう。

「すごくドキドキしてるね。そんなに怖かった? ごめんね。でもね、ここまできちゃったら自力で里に帰るのは大変だと思うのよ。任務が終わったらちゃんと俺が連れ帰ってあげるから、ここに入ってなさいよ」

そう言って、カカシさんはそのまま、懐の中におれを押し込んだ。


カカシさんの素肌が俺の素肌(猫だけど)がこんなにも合わさって。
カカシさんの肌の温みが俺の体に直接伝わって(猫っ毛が邪魔だけど)、興奮に心臓が止まる……!
でも、俺今カカシさんに抱かれてるんだ。大好きなカカシさんに。
心臓はとても痛いけど、すごく幸せな気持ちだ。

でも。
でも、やっぱりダメだ!!
俺がカカシさんの胸に抱かれるなんて、あってはならないことだ。
今すぐ、ここを出なきゃ。この温みに慣れてしまう前に。

「にゃぁ! にゃぁあ!!」
「こらこら、あばれるな。落ちると痛いよ? こっから先は足場が悪いから自分で歩くとケガしちゃうし、おとなしくここにいなさいよ」

本当に困った様子でカカシさんが俺の背を撫でて宥めてくれる。
下を見てみれば確かに悪路で、ここを自力で歩けば肉球から血が滲むだろう。
本当はそんなことくらい、どうでもいいけど。
でも。でもさ。カカシさんがそこまで言ってくれるのなら。
一生告げないと決めた恋心の、せめてもの慰めに、このままカカシさんの胸に抱かれていてもいいだろうか。

「にゃぁ……」
「オマエ、俺の言うことがわかるの?」
「にやっ!」
「そう。だったらちょっと俺の話相手になってよ」

そう言って、カカシさんは俺の頭を大きな手で撫でながら、里のこと、仲間のこと、特意の忍術のことなど様々なことを語り聞かせてくれた。
知らなかったことにも、既に知っていたことにも俺は必死に耳を傾け、時折にゃぁと相槌を打つ。

サスケ、ナルト、サクラのことを話しはじめたカカシさんは本当に楽しそうで、心底あの子たちを大切に思っているのが伝わってくる。
嬉しくなった俺は、にゃぁ!にゃぁ! と両の前脚をバタバタさせてしまった。
それを見たカカシさんがプッと噴き出す。

「ひょっとして、ナルト達を知ってるの?」
「にゃぁ!(もちろん)」
「そうかぁ〜。あいつら、生意気だけどカワイーとこあるよね」
「にゃにゃっ!!(ええ。ほんっとうに生意気ですけどねっ!)」
「あれ、ひょっとしてオマエもあいつらのこと、すきなの?」
「にゃあああああああっ(大好きですよ!)」

あー幸せだなぁー。
人に戻っても、こんなふうに穏やかな時間をこの人と過ごせたらどんなにいいだろう。
でもそれは過ぎた願いだ。
カカシさんは里が誇る凄腕の忍者で、しかるべきときがきたら、しかるべき血筋の優秀なくの一と結婚して、何人も子供をもうけるのだろう。
俺みたいな男が彼の人生に入り込む隙なんて、ない。
女に生まれていれば、結ばれることはなくても、告白くらいできたのかな。
だから、今だけ。せめて、今だけ。

「にやぁ……(カカシさん……)」

俺は頬をカカシさんの胸に押し当て、彼の心臓の音を聞いた。
トクトクと刻まれる穏やかな振動が小さな体のすみずみまで行き渡って、俺がカカシさんで満たされる。
カカシさんが「オマエは本当に俺が好きだねぇ」なんて言うもんだから、胸がキュンとした。
もさいと評判の俺が胸キュンなんて、ちょっとどうかと思うけど。今は猫の姿だから、いいんだ。

それにしても、と言ってカカシさんは俺を高々と抱き上げた。

ああ、カカシさん。
あなた、何て顔をしているんです。

「猫と会話をしたのは初めてだぁよ。オマエは本当に賢いね」

この世で一番愛しいものを見るような優しい目で、見たこともないくらい幸せそうに笑って、カカシさんが俺を見ている。

「にゃぁ……(カカシさん、愛しています)」

言葉にならない声で、俺は届けてはいけない想いを精一杯伝えた。

「それに、オマエはとっても優しい眼をしてる。辛いことも素敵なことも、沢山経験して、ちゃんと自分のものにした人だけがもつ、強くて優しい眼。オマエ、やっぱり似てるよ。俺の好きな人に」

心臓が止まるかと思った。
温かな気持ちも、甘い切なさも、すべてが一瞬のうちに消え去り、心は荒れ狂う嵐の只中に投げ出された。

――そうか。カカシさんの心は、もう誰かのものだったんだ。
おちつけよ、俺! 何をそんなに取り乱しているんだ! 好きな人がいたって当然のことじゃないか。でも。……でもっ!!

俺はおもいきり身を捩り、カカシさんの手を逃れた。

「あっ、おいっオマエッ!」

体を伸ばし、前脚でしなやかに着地する。
駆け出そうとして、でもやっぱり後ろ髪を引かれて、振り向きざまにカカシさんを見上げると、今にも泣きだしそうな目とかち合った。

「お願い。いかないで。どうかずっと俺の側にいてください」

俺に向けた言葉じゃないことくらいすぐに分かった。
きっとカカシさんは片恋いで、俺にその人を重ねあわせて……。
似ているからって理由だけで、俺が、側にいて良いわけがない。

「にゃぁ(さよなら)……!」

俺は里に向けて走りだした。
駆けて、駆けて、駆けて。全力で駆けて。
全部全部、置いていければいい。
カカシさんのあたたかな肌のぬくもりも、優しい声も視線も全部ぜんぶ、あの場所に置いていければいい!!

俺は里にたどり着くと一目散に自宅をめざし、玄関に入るなり結界をはって、その中で大声で泣いた。
目玉がとけるかと思うくらい。
喉は嗄れて痛み出すくらい。
無様にもがいて苦しんで。
そうやって、死んでしまった己の恋を悼んだ。

次にカカシさんに会ったのは、3日後の深夜だった。
受付で、カカシさんがあの任務から帰って記した報告書を受け取ったのだ。

「イルカ先生、ただいま帰りました」

優しい声が心に響いて、目元が潤みだす。

「おかえりなさい、カカシさん」

涙をこらえて、俺はいつものようにニッカリと笑った。
カカシさんも目を細めて笑い返してくれる。

「先生の顔を見ると、あぁ里に帰ってきたなぁってホッとするんです」
「……あり……がとう、ございます」

とても嬉しい言葉だった。
俺は、これ以上のことをこの人に求めてはいけない。
これで満足しなきゃいけない。
失恋したことを、悲しんではいけない。
大丈夫。きっと大丈夫だから。
普通に、話しかけるんだ。

「任務、お疲れさまでした」
「ありがとうございます。先生あのね、アナタに聞いてほしいことが」
「なんでしょうか?」
「任務中に猫に会ったんです。とても賢くて愛らしい猫で、すごくアナタに似ていました」


おわり(2016.10.29)
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