一楽ラーメン
「 ふぅ〜」かつて写輪眼のカカシと呼ばれ、火影まで勤め上げた男は、自室のベットに所在無く座り、深い溜息を洩らした。
「何をやってんでしょうね。オレは」
早朝から昼過ぎまでを慰霊碑の前で過ごし、帰宅してからも犯した罪に思いを馳せる日々。
ただ過去を悔いるために生きているようなものだ。
カカシは住み慣れた部屋をじっくりと見回した。
布団も家具も、何もかもが若かった頃と変わりはしない。
任務に明け暮れ、そんなことに気付く余裕もなかったが、変化といえば本棚の中身くらいだったと思い至った。
だけど、新刊を心待ちにしていた愛読書も数年前から発行されなくなって。
世界は変わっても自分は何も変わらないのだと思い知らされた気がして。
縋るように見つめた写真の中。
かつての教え子達の眩しい笑顔に癒しを求める。
彼等は、もう人の親として立派に過ごしている。
一人は里にいないけれど。
もう一枚の写真は、辛くて見れなかった。
あの頃の彼等にあんな悲劇が待ち受けていたなんて、一体誰が想像し得ただろう。
―― 先生、オビト、リン。結局俺は失敗ばかりだったよ。
教え導いてくれた師匠の歳を軽く越えてしまった自分。
はやく彼等のいる世界へ旅立ちたい、と、自死を望んだのは両手では足りない数だ。
そのたびにカカシは、残していく者の痛みを考え、切なる願いを殺し続けてきた。
カンカンカン
アパートの鉄の階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
ついで玄関の扉が乱暴に叩かれ、その音に被せるように聞きなれた声がした。
「せんせーい! 今から一楽ラーメン行くってばよ。早く出て来いってばよ!」
のっそりとベットから起き上がり玄関を開けると、ナルトの笑顔がカカシの視界に飛び込んできた。
「ったく、何だっての。早く出て来いって言ったって、お前今来たばっかりじゃないのよ」
心の痛みを綺麗に隠して、カカシは悪態をつく。
「そうだけどっ、俺がノックする前にこうバーンっと扉を開けて ナルト久しぶりだな! って腕を広げてまってて欲しかったってばよ、ってカカシ先生ぇ、どこいくんだってばよぉっ!!」
「相変わらず騒がしい子だぁーね。一楽ラーメン行くんでしょ?」
ナルトの側をすり抜けてカカシは階段を下りていく。
「それでこそカカシ先生だってばよ!!」
カンカンカンカン
「はぁー。こんな騒々しい子が火影とはねぇ」
「なんかいったか?」
「いーえなーんにも。それより毎日忙しいんでしょ? 俺とラーメン食べる暇あったら家に帰ってやればいいのに」
「そんなこと言わないでくれよ。俺ってば、ずっとカカシ先生に会いたかったんだってばよ!!」
「ふーん」
素っ気ない言葉を返していても、緩む頬と優しい瞳がカカシの心を示していた。
アパートの階段を下りきったカカシは、一楽への道を感慨深く歩き出す。
第7班を率いていた頃には、嫌というほど辿った道だ。
思えば、幸薄い人生の中であの頃が一番満たされていたかもしれない。
無茶苦茶な理屈で好き勝手に動く子供たちの指導には、信じられないくらい気力と体力を奪われた。
どう導いてやれば、心を殺さず忍として生き抜けるのか。
どう接してやれば、心に巣食った闇から助け出してやれるのか。
日々真剣に考えるうちに、子供たちへの愛しさは膨れ上がり、ついには我が子とも思えるほどに掛け替えのない存在になっていた。
無心に慕ってくる子供たちが、不器用に甘えてくる子供が、大切でならなかった。
可愛くて、ならなかった。
目を閉じると、あの頃のナルト、サスケ、サクラの輝く笑顔が胸に咲く。
「カカシせんせぇ、ついたってばよ」
懐かしく思い起こしていた頃よりも、随分と低くなったナルトの声に、カカシは今に立ち戻り、目の前の店を眺めた。
幾度もくぐった赤の暖簾はあの頃よりも随分と色あせていて、過ぎ去った日々をつきつけてくる。
僅かな戸惑いを押し隠し、カカシはナルトに続いて店に足を踏み入れた。
目の前のカウンターには、サクラとイルカが座っており、こちらを振り向いている。
「カカシ先生、こっちこっちー!」
「こんにちは。カカシ先生」
嬉しそうにぶんぶんと手を振るサクラと、少し恥ずかしそうに微笑むイルカ。
「おやおや、みなさんお揃いで」
懐かしい顔ぶれにカカシは目を細めた。
「いらっしゃい。ナルト、カカシ先生」
「おーう! おっちゃん、今日チャーシュー大盛りね!!!」
「お久ぶりです、テウチさん。俺は普通盛りでお願いします」
「はいよっ!」
ほどなく店主のこだわりと愛情のこもったラーメンが運ばれてくる。
好物のラーメンに舌鼓をうちながら他愛のない話に花を咲かせるナルト達を、カカシは穏やかな表情で見つめていた。
「せんせぇ、俺いつかカカシ先生と全力で戦ってみたいってばよ!!」
急に振られた話の内容に驚いたカカシは箸を置く。
「おいおい、せっかく平和な世の中になったっていうのに、どうして戦いなんか」
と、イルカが疑問を挟んだ。
「そうだよ。それにお前と俺じゃ勝負にならないでしょ」
カカシが呆れた声をあげると、ナルトとサクラが言葉を継ぐ。
「先生はそうやっていつまでも俺を子ども扱いするってばよっ!」
「ナルトいい加減あきらめなさいよ。私たちはいつまでたっても先生に適わないわ」
想像だにしなかった教え子の言葉にカカシは目を丸くした。
昔と何も変わらぬ調子で火影になったナルトに説教をかますサクラと、口を精一杯とがらせ背中を曲げて、全力で不服を表現するナルト。
可愛い可愛い子供たち。
「ナルト、そうじゃないよ。俺がお前達にかなわないの。お前達は本当に強くなったし、俺はもう年だしね、おまけに写輪眼も返したから」
そう言って笑うカカシはいつも通りで、それが却ってサクラの胸を締め付けた。
ナルトは少し怒ったようだ。
「今だって先生は充分強いってばよ!! 戦況を読み取る力だって、何手も先を読む戦略の組み方だって、俺たちは足元にもおよばないってばよ。確かにあの頃とは違うかもしれないけどっ。ほら、なんていったっけ、こういうの」
大好きなラーメンを啜る箸を止めてまで、ナルトは真剣に考え込む。
そんなナルトに皆の視線が集まる。
「あーっ。思い出したってばよ。カカシ先生は腐っても鯛だってばよっ!」
言い終わるか否かのうちに、目を三角にしたサクラとイルカから制裁が下された。
ドスッ!!
「ナルトっ。それ違うから!」
ペチン!!
「おい、ナルト。失礼だぞ!」
「だーっ!! いてぇサクラちゃん! イルカ先生、この年になってデコピンは恥ずかしいってばよっ」
「あは、あははははは」
三人のやりとりにたまらずカカシが声を出して笑った。
「あ。サクラちゃんやったってばよ。とりあえず今日の任務は完了! じゃ、俺仕事あるからいくわ」
残りのラーメンを慌ててかきこんでナルトが席を立つ。
「カカシ先生、サクラちゃんと俺のお代よろしくな!!」
「ってナルト、自分の分くらい自分で払いなさいよ! いままで散々出世払いだっていっておごらせておいて! あんたもう火影でしょ!? これ以上どう出世するつもりよっ!」
「だって俺財布もってきてないし〜。 と、いうことでよろしく!! カカシせんせぇ、また一緒にラーメン食べようってばよ!」
ニッカリと笑ってナルトは瞬身で姿を消した。
「まったくナルトったらッ。カカシ先生すみません。私ナルトの分も出します」
「うんにゃ、ここは俺に出させてよ」
そういったカカシがあまりに切なく笑うから、サクラは何も言えなくなってしまった。
「サクラと一緒にラーメン食べれて嬉しかったぁよ」
カカシは昔よくしたように片手をサクラの頭にのせて少し乱暴に撫でる。
「先生、あのっ」
サクラが決意を湛えた目で口を開いたとき、彼女の掌に式鳥が舞い降りた。
「やだっ、急患だって」
「早くいってあげなさいよ」
「……はい。先生またすぐにねっ!」
笑顔を残し駆け去るかつての教え子の姿を、カカシは眩しく見送った。
「子供の成長は早いですね。カカシ先生」
「そうですね。あんなに頼りなかったあいつらが立派になりましたね。それでも今日みたいにラーメンおごってくれって言って、まだ俺を先生でいさせてくれるんですよ」
カカシの気持ちがイルカには痛いほどよく分かる。
「愛されてますね。カカシ先生」
「あなたもでしょう?」
ありがたいことだと、ふたりは顔を合わせて笑った。
「サスケが」
空になってしまったラーメン鉢に視線を落としたカカシが、とても小さな声で呟いた。
イルカは身を強張らせカカシを見る。
その顔には表情らしきものは何も乗せられていないというのに、イルカにはカカシが泣いているように見えた。
カカシを驚かさぬよう、イルカは低く穏やかな声音で慈しむように話かける。
「サスケが、どうしたんです?」
「あぁ、すみません。声に出ちゃってましたか」
カカシは再びイルカを見た。
「今日ここにサスケが居たらよかったなぁ、って」
泣き笑いのようなカカシの表情は多くのことをイルカに伝えてきた。
サスケ、お前の里抜けを止めてやれなくてすまない。
全てに決着がついても、里に留まれなかったお前は腕の他に何を失った?
今お前はどこにいる? 腕の傷は疼いていないか? どこかで寒さと空腹に震えてはいないか?
サクラ、お前から夫をサラダから父を奪ったのは俺だ。
俺が不甲斐なかったからだ。寂しい思いを強いてすまない。
ナルト、俺の尻拭いを全てお前にさせてしまったな。片腕で里を支えるのは辛いだろう。
サスケ、ナルト。叶うなら俺の両腕をお前らにやりたいよ。
イルカもサスケに想いを馳せる。
ナルトのように、サスケもベタベタに甘やかせば良かった。
本人がどんなに嫌がっても、抱きしめて頭を撫でて、お前が大事だと言いつづければ良かった。
ごめんな、サスケ。
「そうですね。サスケも居たらよかった」
深い共感を示すイルカの言葉に、カカシは辛そうに目を伏せた。
カカシにとってそうであるように、イルカにとってもまた、サスケはかけがえのない子どもなのだ。
「イルカ先生、すみません。サスケの里抜けは俺のせいなんです」
『オレの大切な人は、もうみんな殺されてる』
あのとき、どうしてあんなことを言ってしまったのか。
大事なものはサスケでありナルトでありサクラだった。抱きしめてやればよかった。側を離れるべきではなかった。
「そうですね、きっとカカシ先生のせいであり、俺のせいであり、ナルトのせいであり、サクラのせいであり、でもやっぱり一番はサスケのせいなんですよ。」
眉を寄せて瞳を潤ませながらイルカが言う。
その言葉は不思議なほどカカシの胸に響いた。
「カカシ先生、これを見てください。」
イルカは胸のポケットから綺麗に折りたたまれた一枚の紙を、恭しくカカシに差し出した。
紙を受け取ったカカシはそれを丁寧に開く。
懐かしい文字で書かれた任務依頼票。
そこにはSランクを示すハンコが押されている。
「今朝、俺宛に式で届きました。なんでもひょんなことから大金を手にしたそうですよ」
イルカが温かなまなざしでカカシを見つめている。
■■任務依頼票■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【依頼者】 うちはサスケ
【依頼内容】 1日1回はたけカカシを心の底から笑わせろ
【依頼期間】1か月
【指名忍者】 うずまきナルト うちはサクラ うみのイルカ
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「あ……いつ」
サスケはサスケで己の里抜けがカカシを苦しめていることを知っていて、気に病んでいたのだ。
火影の任を降りたカカシが過去に囚われ虚無感にさいなまれることも、ナルトとサクラがカカシを気にかけつつも仕事に追われ時間が取れないことも、サスケには分かっていた。
任務にしてしまえば、ナルトとサクラはカカシに会える。
火急の用があったとしても、何とかしてカカシを優先するだろう。
二人の言葉足らずなところはイルカ先生がフォローしてくれる。
この任務依頼はサスケの精一杯の恩返しだった。
「よかったですね。カカシさん」
「……」
カカシは込み上げてくる愛しさと哀しみに拳を強く握りしめた。
恨まれていると思っていた。それだけのことをした自覚があるのに。
――サスケ、こんな俺を慕ってくれてありがとう。
俺はまだお前に伝えていなかったな。俺の大事なものはお前達だってことを。
なあ、サスケ。今からでも遅くないだろうか? お前に探しに行ってもかまわないだろうか?
愛していると伝えても、よいだろうか?
荒ぶる気持ちが落ち着くまでに随分と時間を要した。
イルカは静かにカカシを見守っている。
優しく温かな視線に励まされ、カカシはようやく決意を固めることができた。
「イルカせんせ、俺ね。しばらくしたら旅に出ます」
「それはいいですね。ところでどんな旅を?」
「まずはサスケを探します。伝えなければいけないことを、まだ伝えてないので。それから、いままでに任務で訪れた場所を巡るつもりです。俺が過去に成したことが今にどう繋がっているのか、きちんと見てこようと思います」
イルカは深く息を吸った。
それはきっと酷い痛みを伴う旅になるだろう。
彼は多くの命を救ったが、多くの命を奪いもしたのだから。
なぜそこまで、と言いかけてやめる。
罪と向き合い真摯に生きようとするこの人の歩みを妨げてはいけない、と思ったのだ。
「何があっても、必ず、帰ってきてください」
「はい」
「生きていれば、償える罪もあります」
それだけを言うのが精いっぱいだった。
「そうかもしれない。ありがとうね、先生」
――きっとこれからも俺は犯した罪の数とその重さに潰れそうになりながら生きていくのだろう。
だけど、先生の言うように、生きていれば、まだ償える罪もきっとある。
たとえば……。
イルカを見つめ返すカカシの目が僅かに輝いた。
「ねぇ、イルカ先生。俺はまた、サスケと一緒に、ここのラーメンを食べられるかな?」
イルカは力強く微笑み、答えた。
「ええ。いつかきっと」
おしまい
(2016.11.19 リライト)
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