花咲ける君
重い身体を引き摺り、自宅に戻った深夜2時。明かりをつけ、ベッドサイドの鉢植えに歩み寄る。
まるでオビトのように鋭い葉っぱが、ミナト先生に叱られたリンみたいに萎れていた。
フカフカだった土は、乾き、ひび割れている。
胸がツキリと痛んだ。
「ごめんウッキー君。急な任務が重なって中々帰れなかった。こんなことになるなら、誰かに世話を頼めばよかった」
ウッキー君に掌を寄せ、癒しのチャクラを当てたけど、半分も中に入っていかない。相変わらず医療忍術は苦手だ。
思えばリンはあの歳で、すごかった。
チャクラを惜しまず治癒を続けていくと、すこしづつ、すこしづつ葉っぱが張りを取り戻してきた。
嬉しい。まだ、間に合う。
「次は、水だな」
洗面所で如雨露に水を汲む。
それから小さな手拭を濡らし、固く絞った。
寝室に戻って水を遣り、トゲトゲの葉っぱを一枚一枚拭いてゆく。
うっすら積もった埃がなくなると、いつものウッキー君に戻った気がして、ここでようやく安心することができた。
「ふぅ……」
今度は自分の身の回りのことをしなければならない。
寝室をあとにし、風呂場に向かう。
明日の夕方から、また任務だ。今回みたいに長引くかもしれない。
ウッキー君を預かってくれる人を探さそう。それから、起爆札も買いにいかないと。と、すると昼過ぎには家を出なければ。
頭の中で明日の予定を組み立てながらシャワーを済ませ、ベッドに入った。
今夜もまた、あの夢を見るのだろうか。
*
夢の中の俺は、子どもだった。
リンとオビトとスリーマンセルを組んで二ヵ月ほどたった頃、ミナト先生からある任務を与えられた。
任務内容は定期連絡の書簡を、同盟国である草の国に届けるというもので、行きも帰りも整備された街道を使い、日程にも十分な余裕があるという。
任務というよりは、旅行ついでのお使いといったほうがしっくりくるだろう。
実際、先生は「たまにはこんな任務も受けないとね! はい、これお小遣い。楽しんできて」と言いながら札束を渡してきた。
はしゃぐリンとオビトが癇に障って、「行かない」と言い捨てる。
「カカシ、まぁそう言わないで。みんなでいいところに泊まって美味しいものでも食べたら、ちょっとは仲良くなれるんじゃない? とっても仲良しにならなくていいんだよ。ちょっでいいから、ね?」
苦笑しながら諭す先生を睨み付け、無言で立ち去った。
結局俺は行かなかった。
「カカシ、これあげる! オビトと一緒に探したのよ」
任務から戻ったリンが俺に差し出したのは、観葉植物だった。
素焼きの鉢にウッキー君と書かれている。
何の変哲もない植物を見ても、俺の心は1mmも動かない。
「いらない」
「はぁ!? 何いってんだカカシ! リンが一所懸命探したんだぞ!?」
「かんけーない」
「そんな言い方、あるかよ! リンがどれだけお前のことを想ってッ!!」
「オビト、そんなに怒っちゃカカシが可哀想だよ。それにね、自分の気持ちを人に押し付けるの、よくないよ。カカシ、ごめんね。お土産いらないって言ってたのに勝手に買ってきちゃって。これ私が育てるから、もし気が向いたらもらってやってね」
「絶対にいらない」
「そっか、ごめんね」
無理やり微笑んだリンと、顔を真っ赤にして怒っていたオビト。
本当は少し、嬉しかった。ありがとうって受け取りたかった。
だけど、勇気がでなかった。
悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない。
ごめん、ごめんね。
ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
*
「ごめん、リン、オビト……」
夢から醒めて、しばらくの間呆けたように天井の一点を見つめていた。
オビトとリンが死んでから。
いや、オビトが死んで、俺がリンを殺してから、何度も何度も何度も何度も見てきた夢だけど、胸の痛みに慣れることはない。
でも、それでいいと思っている。
この罪と痛みを忘れてはいけない。俺だけが楽になっちゃ、いけない。
俺は、ベッドの中からウッキー君に手を伸ばした。
鋭い葉が刃のように指に食い込む。
きっとリンとオビトが怒っている。
「ごめん……ほんとに、ごめん。沢山酷くして、ごめん」
届かない言葉を何度口にしても、何にもならない。
そんなこと、わかっているけど。
それでも。
ごめんなさい、と言わずにはいられない。
ウッキー君は窓を背にして、鋭い葉を陽光に光らせていた。
身支度をすませ、ウッキー君と外にでた俺は、上忍待機所へ向かうことにした。
そこに居合わせた誰かにウッキー君を託すつもりだ。
なんなら待機所に置いておくのもいい。非番の上忍たちが代わる代わる世話を焼いてくれるだろう。
それが一番確実かもしれない。
いつ死ぬか、いつ帰るか分からないのは俺も他の忍も同じだから。
そんなことを考えながら商店街を歩いていると、黒髪の青年とすれ違い、思わず声をかけてしまった。
「イルカ先生!」
イルカ先生はビックリした顔で立ち止まり、俺の顔をまじまじと見て、それからエビのように勢いよく跳ねてから、これまた勢いよく頭を下げた。
「はたけ上忍、おはようございます!」
なに、この人。おもしろい。
「そんなに飛び上ってどうしたの?」
「すみません。まさか、はたけ上忍が私の名前をご存じとは思わなかったものですから」
「そう? アナタには受付でお世話になっているからね。ちゃんと覚えてましたよ」
少しだけ嘘をついた。
受付の忍に関心はない。この人の名前も最初は知らなかった。
イルカという名のアカデミー教師が、背中に大ケガを負ってまでミナト先生の息子を救ってくれたと聞いて、心の底から感謝した。
感謝はすぐに興味を伴い、どんな人だろうと調べてみれば、いつも受付でテキパキと仕事をこなしている鼻傷の中忍だったというわけだ。
「そうだ。イルカ先生って基本は里内勤務だよね。任務に出ることってある?」
「年に数回ほど出ますが、ほどんど日帰りです」
「そっか。じゃぁコレ、俺が任務に出てる間、頼まれてくれる?」
俺は当然のようにウッキー君をイルカ先生に差出し、先生もまた当然のようにウッキー君を受け取った。
どうしてこんなことになったんだろう。上忍待機所に置いておくつもりだったのに。
「わかりました。葉っぱの形状からすると、そんなに水はいらないようですが、水やりは一日に一度、土の表面が湿る程度でいいですか? それとウッキー君は日陰より日向を好むのかな?」
イルカ先生は、しげしげとウッキー君を観察して、育成方法を俺に確認してくる。
その生真面目さと植物に対する優しさがとても好ましかった。
「それにしても……この茎にこの形状の葉がついているのは不自然ですね。とても珍しい。……まさか、これって、草の国の!?」
そこまで言って、イルカ先生は表情を引き締め、詮索するつもりはなかったのだと俺に頭を下げた。
「そんなの気にしなくていーよ。イルカ先生の予想どうり、ウッキー君は俺の仲間が草の国で買ってきてくれたの。ちゃんと世話をしてるのに大きくならなくてね。花を付けたこともないし、葉っぱの形状も今と昔じゃ全く違うし、とにかく不思議な植物なんです。イルカ先生、何か心あたりでもありますか?」
「はい。草の国では育て主の心境によって葉っぱの様子が変わる希少な植物があって、高値で取引されています」
心臓が大きく一度跳ねた。
掌にじわりと汗が滲む。
「そ……う。コイツ、そんなに特別な植物だったの」
リンとオビトは自由になる時間とお金を全てつぎ込んで、このウッキー君を探しだし、買ってくれたのかもしれない。
どうして? ねぇ、どうして俺なんかにそこまでしてくれたの?
「仲間は、何を想ってこれをくれたのかな。
幼かった俺は意地を張って受け取れなくて、俺のかわりに仲間のうちの1人が育てていました。
でもみんな死んでしまってね。そうしたら急にウッキー君が欲しくなって、ウッキー君を育てた子のご両親に何度も頭を下げて、譲ってもらったんですよ」
「そうでしたか」
イルカ先生は、悲痛な顔でウッキー君を見ていた。
自分の中の喪失の記憶をひっぱりだして、俺の心に添おうとしてくれているのが分かる。
この人は、本当に聡く優しい。
その優しさを俺に向けてくれることが、とても嬉しい。
でも、自分の傷のことでこの人にこんな顔をさせちゃいけない。この人を巻き込んじゃいけない。ふとそんな想いが胸によぎり、次の瞬間には自分でもびっくりするくらい明るい声を出していた。
「嘘です! 嘘嘘! 作り話。イルカ先生、信じちゃった? ごめーんね。仲間は今でもピンピンしていますよ」
イルカ先生が、ガバっと顔をあげ、食い入るように俺を見ている。
俺は心の痛みが目に滲まぬよう、最新の注意を払いながら笑い続ける。
しばらくすると、フッとイルカ先生の緊張が緩んだ。
それからイルカ先生はウッキー君を抱きしめて、一音一音噛みしめるように「よかった」と言ってくれたんだ。
そのときのイルカ先生の表情とか、声の柔らかさとか、鉢に添えられた指先の誠実さとか、そういったものに何故かひどく感動して。
心の奥底に小さな、小さな灯が灯った。
それは本当にささやかなものだったけれど、とてもとても暖かくて、愛おしくて。
この瞬間はきっと永遠に心に刻まれて、辛いこと、哀しいことに立ち向かう糧になる。何度も何度も思い出して、そのたびに鼻の奥がツンとなるような、愛しさが心から溢れるような、そんな大切な記憶。
ああ、俺はこの人にどれほどの感謝してもしたりない。
ありがとう。本当にありがとう。イルカ先生。
*
その夜、任務先で夢を見た。
初めて見る夢だった。
大人になってしまった俺を、あの頃のままのオビトとリンが見上げている。
「素敵な人と出会えてよかったね、カカシ。きっとウッキー君は花を咲かせるよ!」
嬉しそうに、幸せそうに笑うリン。
「花? ずっと世話してきたけど、一度も咲かなかったよ?」
「そりゃお前が俺たちのことでずーっとウジウジしてたからだ! ウッキー君はな、育て主が幸せな気持ちになると花を咲かせるんだ」
「そうだよ。だからね、ウッキー君は花を咲かせるよ!」
「リンが言うなら間違いないぞ! リンはお前以上にお前のことを分かっているからな」
二人に沢山言いたいこと、聞きたいことがあるのに、何も話せやしない。
「ウッキー君をどうして?」と。
ただそれだけを、なんとか喉から絞り出した。
「あのね、カカシってさ、いっつも無表情だったじゃない? 自分の気持ちの動きにも無関心だったし。だからね、ウッキー君に自分の気持ちを教えてもらったらいいんじゃないかな〜って思ったの。カカシがね、辛いときに辛いって言えるように、嬉しいときに嬉しいって言えるようになったらなぁって。それからウッキー君って名前はね、オビトが寝ないで考えてくれたんだよ」
「ちょっ、リン! それは内緒だって言ったろ!!」
拳を振り上げてリンを追い掛けるオビト。
リンは笑いながら、俺の周りをクルクルと逃げまわっている。
「毎日ウキウキでカカシが暮らせますように、って。だからウッキー君なの!」
「こらっ、リン―! 約束破んな!!」
あぁ。
こんな。
こんなことって。
耐えに耐えてきた感情が、堰を切って流れ出す。
オビトとリンを捕まえて、二人まとめて抱きしめた。
ふたりとも、俺と同じくらいの背丈だったはずなのに、今、ふたりの背は俺の胸の辺りまでしかなくて。
死に別たれた時間の残酷さを思い知る。
だけど、長い時を経てしか伝わらない想いもある。
「オビト……オビト、リン!! ごめん。ごめん。本当は大好きだった。ふたりとも、大好きだったんだ!」
「うん、知ってたよ。私たちもカカシが大好きよ」
「俺も、知ってたぜ。ごめんなんて、言うなよ」
山の稜線から陽が昇り、二人の姿を照らしはじめた。
光に呑まれるように、オビトとリンの輪郭が霞みだす。
サヨナラのときが来たのだとわかった。
「カカシは泣き過ぎだ」とオビトが笑った。
「元気でね」とリンが手を振った。
それからしばらくして、ふたりは光のなかに溶け込むように消えてしまった。
ふたりとも、心から笑っていたんだ。カカシ、幸せにねって最期に言ってくれたんだ。
俺は、胸がいっぱいになって何も言えなかった。
*
静かで満たされた目覚めだった。
清浄な空気が朝日にキラキラと輝いている。
良い夢だった。
自分に都合の良すぎる夢だ。
でも。もし。
もしも本当にウッキー君が花を咲かせていれば、あれはただの夢なんかじゃなく、きっと本物のオビトのリンが見せてくれた夢なんだろう。
欅の木の下、寝袋から這い出した俺は、伸びをしながら大きく息を吸い込んだ。
「チィ」と小さな鳴声が聞こえてきて、視界に一羽の式鳥が入ってくる。
ひと目みた瞬間、それがイルカ先生の式だと分かった。
純白に輝く折り目も美しい外観に、あの人の美点が全て現れている。
俺は片手を差し伸べ、式鳥の到着を待った。
あの人は俺に何を伝えようとしているのだろう。
イルカ先生の顔を心に思い浮かべると、満たされていた心がさらに浮き足立った。
こんな気持ちになるのは初めてだった。
「イルカ先生」
ちょうどその名を呼び終えたときに、おれの手首に式鳥がとまり、その姿を一片の紙へと変えた。
おしまい。
素敵なタイトルと挿絵は最果て倉庫のはやせはやおさんにお願いしました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
moge いつ戻るかわかりませんが、早ければ秋ごろに戻ります。
ひとまず、さよならー!!